恒星社厚生閣の『アルマゲスト』日本語全訳は唯一しかも原典訳ならぬ仏語訳からの重訳なのである。注釈も満足に無く、でも邦訳がないよりはましというか、ただでさえ分かりにくくて長い本なのに、洋書で読んだらなおさら分からないだろうから、この仕事をやっていただいた藪内清先生には大いに感謝しなければならない。
筆者も最初は読みながら作図してプトレマイオスが書いている通り幾何学の証明を追いながら、関数電卓を使いながら付いて行ったのであるが、途中からもう意味不明になり数字の羅列をただ眺めるのみになった。しかし読んだ以上はレビューするのが使命;ということで頑張って書かせていただく。
概要
古代エジプトはアレクサンドリアの学者、クラウディオス・プトレマイオスの天文学書『アルマゲスト』は、ルネッサンス期に到るまで1000年以上にわたって権威とされてきた。
書物の辿った詳しい経緯はネットや専門書で各自調べていただくとして、簡単に説明すると;ギリシャ・ヘブライおよびエジプト学問の融合の都・アレクサンドリアがキリスト教徒によって破壊されると、貴重な学問はイスラム教勢力が強まったアラビアへ移った。
『アルマゲスト』もまたそのような運命を辿り、アラビアでは多くの偉大な天文学者が生まれた。しかしプトレマイオスの研究をさらに進めるまでには至らなかった。
理性的思考が遅れていた西洋はアラビアから学問をいわば逆輸入して翻訳し、古代人の先進的な知識を学んだ。実に1000年以上の穴が空いた後である。以後、コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンなど皆さんのよく知ってる人達が、宇宙の神秘を解明して行く。
幾何学
微分積分法も地動説も太陽系の概念すらなく、アリストテレスの宇宙論を基盤とした考え方から出発している『アルマゲスト』が、電卓もパソコンもGPSもない時代に拠り所としているのは「幾何学」である。
「幾何学」と言ってもその時代のそれはユークリッド『原論』のような、七面倒臭くて回りくどいやり方・表現である。ゆえに筆者の場合はまず、『原論』を15分くらい前もって読んで古代人の知性のチャンネルに合わせてから『アルマゲスト』を読むようにしていた。
「幾何学」というのは不動の掟であり、永遠に確固とした規則を扱う学問なのだ;例えば3角形の内角の和が2直角に等しいことは、しばしばデカルトも引用している”この上なく明瞭かつ明白な真理”のひとつである。
同じく世の中から法律を一切取っ払ってマルキ・ド・サドの小説のように無政府状態・アナーキーを作り出すことは、いわば自然の状態に帰ることであるけれども、アナーキーとなった時、逆に「幾何学」が支配するのである。なぜなら「幾何学」は永遠の掟そのものであるから。
●参考→【アリストテレス】哲学:ばっさり解説〜天動説と宇宙論
図形
ほとんど本のレビューとなっていないが、中身はネットやWikipediaを引けば分かることであるし、それよりこの本を読んで考えさせられたことを書くべきではないか;すなわち『アルマゲスト』は地球、太陽、月、5つの惑星および第8の恒星天の星座までを扱う。
細かい計算で割り出した星の位置を読むための表は驚くべき綿密さで作成されている。スマホ一発でいつどんな日の星の位置も表示させられる我々とは違い、プトレマイオスはこの難解な(最も本人は容易だと言っている)計算で、星はもとより地球上の座標値まで出したのである(『地理学』参照)。
最後にもうひとつ、この本を読んで完全に理解できなくとも、我々のいるこの宇宙は「幾何学」の法則によって支配されているということを強く感じるであろう;我々は図形の中心にいる。そして多くの人はそれに気付いていない。
最も偉大かつ巨大(アルマゲスト)なる”全体”ではなく”部分”をのみ見ている。黄道の中心すなわち”目の位置”は我々皆が持っている視覚だが、我々個体は常に円形の地平線、半円形の天球、90度ずつ水平に分割される方位、観測地の緯度に等しい仰角で傾斜した地軸、そして天頂に対し垂直な真ん中におり、そこからわずかもズレることはない。
以上をもってこの拙劣なレビューを終わりとしたい。