哲学

【列子】中国古典新書・明徳出版社・レビュー〜「道教」宗教化した道、哲学化した宗教

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概要

『列子』は50歳にして出会った筆者のお気に入りの本だ。滅多に出会えない大好きな本がまた一つ増えた。

媒体は明徳出版社の中国古典新書なるシリーズ。『列子』の巻は全文収録で、現代訳、用語解説、原文が付く。それでいて編集があっさりとしていて読み疲れない。

蟻のような注釈の文字をびっしりと埋め尽くす中国や日本の漢字だらけの本を見て、視力が一気に落ちて辛い目に会った、それでいて大した収穫もないという思いをしたばかりの私に取りこれは有難かった。

やや印刷が薄いのが特徴だが見ただけで読む気が失せるほどではない。

道教

道教は仏教と融合を計ったかのような内容がwikiに書かれていたりするが、『列子』は仏教のことはすべて忘れて読んでもらって構わない。しかし事前に『論語』や『荘子』『老子』は読んでおきたい。

特に『荘子』との重複部分が大分多いような気がするのは、やはり『荘子』には道の本質が説かれているからだと考えられる。読んでいけば分かるように、どこかで聞いたことのあるような、分かりやすく、懐かしく、有名どころのエピソードの目白押しである。

が、時には独特のマニアックなエピソードもあって読んで興味が尽きない。

方士

道教の達人を”方士”というらしい。また言い方を変えてズバリ”道士”という。子供の頃観た中国映画『霊幻道士』というがあったろう。あの”道士”のことである。

”道士”はいつしか西洋やエジプト、アラビアの錬金術師のように”魔法使い””魔術師”の意味を帯びるようになる。錬金術師が賢者の石を追い求めるように、道教の修道者は錬丹術を学ぶようになる。求めるところは不老不死薬である。

だがこれらの幻想、西洋であれ東洋であれ、安易で中途半端な信念で追求される神秘薬というものは、いつになっても嘘っぱちだった。

有道

『列子』に説くところの有道とは、この本の中で最もインパクトがありかつ極めて明快な次の句に要約される。

「水にも忠信を尽くす」

これはどんな魚も、亀も泳げないような恐ろしい渦流の中に飛び込んで、無傷で岸に上がってきた泳ぎの達人の教えである。儒教の仁と荘子の玄とが混ぜ合わさったかのような微妙な文句であろう。

仙道

中国の仙人の道に一番近いインドの哲学的教えが仏教なのである。すなわち道とは無為である。空である。

尊敬されることを避け、軽蔑されるように努めよ。良い土地を選ぶな、誰も見向きもしない土地を買え。人気者にならぬよう気をつけよ。然もなくば束縛され自由と暇を失くす。

こんなことを言う有道の士とはいったいどんな人なのだろう。会いに行ってみる。すると、目の焦点定まらぬ木偶の坊のような人がいた。この役立たずこそ道士なのである。(以下次回に続く)

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