エッセー

【憧れ】目に見える神々への崇拝あるいは激しい欲情

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こんにちは、読者諸君。当ブログは小銭稼ぎのため開始された。その目的は達成された。大金までは稼ぐ必要はない。と言うことで好きなことを書いてたまに更新さえしてれば良いのである。

「言葉」を金で売る訳にはいかない。読みたいものは私が読みたいものだけを読み続ける。その内容は”封印”されている。従って読者諸君は永遠にその内容を知ることはない。

コスプレイヤー

無知。たまにコスプレイヤーの尻で抜こうか、思う時がある。いいケツをしているからだ。またかれらの(彼女らの)豚のような脂肪たっぷりの尻の肉が、全然情欲をそそらないのではない。逆にそこが興奮させる。

豚のような皮と脂味。たまらないねぇ。その悪魔の乗り移った人体を囲んでいる気違連中。網膜に映った電気信号を有難がる情欲発狂者ども(笑笑笑)。

寓意

これは一種の寓意であるが、彼らは知らない。皆知らない。人間を拝む群衆。恐ろしい。人間が人間を拝んでいる(笑笑笑)。

すべてはスティーブ・ジョブズのせいだ;「世界に衝撃を与えたい」。たしかに、それは成功したと言える。暇さえあれば胸元から平べったい機器を取り出し、画面を指で突っついて夢中になる。

自分がいっぱしの存在であると思っているのか?お前がもし俺の息子ならば、その夜に殺すだろう。

ブラピ

お台場のブラッド・ピットを見て悲鳴を挙げる女;マイケル・ジャクソンを肉眼で観て発狂する観客。その気持ちはわかる。だがなぜ?何が嬉しいの?

”それ以上の存在”を知らないからだ。”それ以上の幸福”を知らないからだ。簡単に説明すると、

幸福あるいは偉大の概念ABCDEFがあるとしよう。実に簡単な話だから聞くが良い。人々はABCDEFについて漠然とした概念を植えつけられており、より上の段階を求めて生きているとしよう。

ここに既存のABCDEFを超えたXなる段階がありはしても、誰もそれを知らないから誰もそれを求めないし、探そうともしない。Xに対すれば既存のABCDEFは糞なのでありはするが。

鈴木大拙

糞の山、という表現が昔からある。釈尊やチベットの聖者もそれについて語っている程。糞の山は身近にあり、我々はそれをしばしば拝む。それを「最高」だと思い込み憧れる。

笑うしかない。自分の糞を喰う犬。これを「無知」と言うと知れ。すなわち「無知」にあっては、糞も黄金と化し、小人も巨人となる。

今日図書館で鈴木大拙の”日本的霊性”という本を手に取ったが、すぐ棚に戻した。ものすごく暇だったなら読んでもいいかも知れないが、明日死ぬやも知れぬ人間の書物ではない。

僻みでも何でもない、これが日本の学者の頂点だ。

日本

私は自分が日本にいるのだと思わないことにしている。同時にヒヨドリが日本固有の野鳥であることを魂に念じている。

三島由紀夫が首を切られたことについて;”頸”は呼吸や消化系統と密接な繋がりがあり、動脈・静脈など切断された段階で人体が死亡し得る部分である。南無阿弥陀仏。

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