エッセー

【学歴】あるいは金のための勉強

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人間金がなければ生きられない、そう考えてはいないだろうか。その通り。今回は「学歴」についてのエッセー。

就職

日本のみなさんが「学歴」という言葉を聞くと真っ先に思い浮かぶのが「就職」ではないだろうか。事実、履歴書には必ず学歴を書かされるし、企業の採用受付で条件として最低学歴が提示されたりする。

このように「学歴」は人間が”飯を食う”ためのツールとしての役割を担っている;のみならず色々な物を購入したり家族を養ったりするには、働いてより良い給料をもらう必要がある。

社会的地位

また「学歴」はそれ相応の教育を受けているということの社会的地位を表すステータスでもある。つまり学歴が”高い”人間はより豊かな人間性を持っているということの。

いやそんなことはない、学歴が人間を決めるわけじゃないなどといった反論も学歴が高い人が主張するなら説得力があるが、学歴が低い人が言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

金持ち

もうひとつ、常人離れした独創的な芸術家のような発想と大胆な行動により、多大な成功を治めている人(例えばスティーブ・ジョブズ)なんかは、学歴が低くても認められる力がある。

つまり金持ちである。金持ちになれば辿る道は違っても高学歴が目指すものと終着点が一致するから、尊敬される。

自己紹介

自己紹介すると筆者は高卒である。なぜ高卒となったかその経緯を今から述べる;

小学校を卒業したてのころ、実家に通信教育の会社が営業にきた。昭和の田舎なので友達も誰も進学のために塾に行っている人なんかいなかった。

その場でなぜか家族一致でとある公立の進学高校への入学を目指すことに決められ、その通信教育を受けることになった。

進学校

進学校というものは大学へ行くための高校なのだが、中卒で現場に出る建築大工ばかりの家系だったため、おそらく家族の誰もその意味はわかってなかったのだと思う。未だにこの家系からは大卒が一人も出ていない。

さてその会社のテキストを勉強しながら学校の期末テストを受けるとなんと学年で1位になった。それも学校始まって以来の点数で記録を出した。9科目だか8科目で平均点数97点だった。次のテストもほぼ同じだった。

1位にばかりなるのでたまに手を抜いて2位になった。3位や5位になると先生から「お前最近おかしいぞ」と言われた。中学3年で高校受験前になるころには周りから普通じゃない目で見られていたから、結構力を抜いてやっていた。

高校生活

それでも宮城県の模試で5位になり、職員室へ呼ばれた。進学校へは入学できた。発表の日はいっぱしに喜んで見せた。しかし私は「高校では勉強しないぞ」と心に決めていた。なぜそう決めたのかはあまり覚えていない。

高校生活について言うべきことはほとんどない;男子校だったし部活もいつも補欠で、勉強しなかったから何の取り柄もない若者になった。それに反して周囲の”友愛”関係やどよんとした毎日の授業といった、ありふれた光景に対する凄まじい疑念が生じた。

陰気臭くて自殺ばかりする日本文学にはまり、中村元訳「ブッダのことば」(1984年初版・以後改訂増刷が続いている)をよく読んだ。

座禅

最終的に私がとった行動は自殺ではなく出家(つまり家出)だった;解脱して苦しみのない境地に達するため、まずは近所の林で座禅を組み、草を食った。高校3年の時;

次いで消防職員の試験で仙台へ向かうはずの日に関東へ向かい、なるべく山に近い”青梅”で電車を降りた。駅を出て神社を見つけ階段を昇った。

日がすっかり暮れて昔話のような夜になり、境内の拝殿にある張り出し廊下の板の上(切目縁という名称らしい)に横になった。冬だったのでものすごく寒かった。

あの寒さは忘れられない;野宿しながら星も見ず私が考えたのは「俺はもう逃げない」だった。”自分の欲望”から逃げない;そういう意味だったろう。

乾杯

お巡りさんのお世話になりながら翌日帰ってくると、仲のいい友達の集団が家に来た。彼らと一緒に河原沿いの公園へ行き、日本の小説や持っていた本をみんな燃やした。いちばん親しかったそのうちの1人は一昨年ガンで死んだ。

こうして悶々と悩んだ高校生活がやっと終わり若者は18歳で社会へと出た。バブル全盛期の巷では長渕剛の曲”乾杯”が流行っていた。

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