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【命を大切に】「死にたい」と思った時〜命の相談ブログ記事

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”命の相談員”はたとえボランティアでやろうと思ったってそれなりの審査があるし、無償でやるには多大な労力を要する。「死にたい」で検索して出てくるのはそのような窓口と似たような呟きばかりのTwitterのハッシュタグばかり。

今の日本、自殺国日本、あまりにも安易に「死にたい」と言ってしまう。口には出せないがケータイやネットで愚痴をこぼす。今度の記事は筆者自身”命の相談員”になったつもりで、しかも無償で「死にたい」人に答える内容である。

どうしても「死にたい」人

もう確固として死ぬ覚悟がある人はせめて男らしく死んでもらいたい(以下女も同じ);すなわち武士らしい死に方をせよ。川端康成や太宰治のようにガス自殺や入水(ましてや情死)自殺はやめておけ。懐剣は武家の嫁入り道具だが立派な短刀を用意せよ(果物ナイフや包丁でなく)。

そいつで切腹し鳩尾か喉の動脈を切って絶命せよ;介錯は不要だから。絶対に仰向けに倒れずうつ伏せすること。仰向けはみっともないから。そういう死に様なら貴方の死体が発見されてもそんなに恥にはならないだろう。

説得されたい人

ここからが「死にたい」けど本当は生きたい、生けるものならもうちょっと頑張りたい人向け。この世の人生は学校のようなものであると考えよ;すなわち貴方が生まれる時自分の意志で生まれたのではないように、死ぬ時も摂理が定めている。

その前に自ら学校を逃げ出し、勉強を放棄することは摂理の支配者に対し失礼である。摂理が存在しないと思うのか?貴方の苦しんでいる五体が生じたのは精子と卵子の結合が原因で、貴方の胎児が形成されたのは母親が飲食していたからだろう?

さらに遡って親が生まれたのはさらにその親が存在していたからであろう?そして生き物は太陽と地球の運行によって(もっと詳しく言えば星座も関与いているのだが)発生するのであろう?そのように貴方が死ぬ時は自然によって数が決められている。

また生ける物は死にたいと欲しようが欲しまいが必ずいつか死ぬ定めである。なぜその時まで待てないのか。小学校は6年、中学校は3年、高校は3年と決まっているではないか。中途退学はよろしくない。

個人情報

筆者個人の話をしよう。私は50才近いがいまはもう無理に死にたいと思わない。死は呼ばなくてもいつでも訪れることを知っているからだ。多くの親しい人が亡くなった。それなのに高校生の時から「死にたい」とそればかりを願ってきた、生ゴミみたいな自分はまだ死んでいないのだ。

こめかみに生えた少しばかりの白髪を見ると嬉しくなる;ああ俺もそんな年なのかと感じるからだ。高校の時、とても死にたかった。20代前半はもっと死にたかった。しかし耐えた。この世は学校だからだ。途中で投げ出しては駄目なのだ。

生まれるのは自分の意志ではない、死ぬのも(卒業するのも)自分の意志ではない。その時が来るまでは。

叡智

最後に見込みのある賢い人向けの内容に移るが、ここからは所謂”秘儀”である。「死にたい」という願望は正しい、自然な衝動。なのでその欲求を抑制する必要はない。逆に言えば死の希望すらない連中など生きている値打ちもない。

「この世は暗黒である」とブッダは説く、そしてブッダの教えは真理である。だからこの世に何の希望も見出せないとか、生きる希望もないと感じている人たちはまだこの世の幻の生活の中に幸せを求めかつ、幸せだと思っている夢遊病者より真理の近くにいる。

「死にたい」と感じているあなた方は素質はあるのだがまだ全然心を納めきれていない。だから心があっちへ行ったりこっちへ行ったりして、全く定まらないのである。残念ながら心は自分自身で納めるしかない。自分に打ち克つ、とはこのことだ。

命の相談ダイヤル

相談員がこのようなことを言ったら果たして誰が何物かを感じ取れるだろうか。多分誰も何も聞かず、切腹の勧めすら聞かないことだろう。ともかく自分の命は自分のものではないということ、出生同様に死去もまた時によって定められた数であること、それだけは言っておきたい。

実際これだけ気候が暑かったらそれだけで死にたくなるものだが。心が惑わされるのは悪霊か貴方に怨みのある神霊(ダイモーン)が人間の力を超えた作用力を及ぼしているのである。GOOD LUCK or GO TO HELL!! 

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