『チベットの死者の書』抜きにしてチベット仏教は語れない;川崎信定先生の詳細な註解と解説のついたちくま学芸文庫の原典訳を参照しながら、第1巻の第二章の「チョエニ・バルドゥ」の第一日目の内容について考えたい。
曼荼羅
この本には3種類の”バルドゥ”についての記述がある。チカエ・バルドゥ、チョエニ・バルドゥ、シパ・バルドゥの3つ。今回取り上げる”チョエニ・バルドゥ”とは、2週間に渡って生と死の中間状態(中有)にある死者に神々(仏)が次々に現れる幻覚である。
最初の7日間は寂静尊(シ)と呼ばれる穏やかな仏たち、次の7日間はシが変化したものとして忿怒尊(ト)と呼ばれる血をすすり死体を食らう恐ろしい仏たちが現出する。この書のチョエニ・バルドゥの記述によって”タンカ”(仏画)と呼ばれるチベット仏教美術が描かれ現代では売られている。
曼荼羅として知られるあれらのド派手なチベット仏教美術は、この『チベット死者の書』(バルドゥ・トェ・ドル)を源としている。
男女両尊
”チベット仏教 男女結合”で検索すると、シ、トの曼荼羅や仏像の画像が出て来る;しかし”曼荼羅”だけで検索しても男女結合の仏(ヤブユムと呼ばれるが、後で記述する)は出てこない。これは現代のかしこまった道徳規範にのっとって最近はそういうタンカを描く人がいないのかもしれない。
それらの画像を見ればわかるが、男女の仏はシでもトでもそうだが、性器を結合している。これを見ていやらしいとか仏らしくないとか感じる人は、まず仏とは何なのか、解脱とは何なのかもわからずにそう言っているだけにすぎない。
あたかもエロビデオかエロ画像でも見る目でそれらの仏画や仏像を見ているということになる。
第一日目
では本巻の「チョエニ・バルドゥ」の1日目の内容紹介へ入る;ティクレェダルワ(精滴弘藩)というガナヴィユーハ(密厳国)から寂静尊(シ)である男女両尊(ヤブユム)が現れる。
ヴァイローチャナ如来はアーカーシャダートゥヴィーシュヴァリー(虚空界自在母)と接吻した形で抱き合いながら、おそろしいばかりに輝く叡智の光と共に、死者の目の前に近づいて来る。
解説によれば、仏国土ティクレェダルワ(精滴弘藩)は”精液をばらまく”の意味であるという。男女両尊(ヤブユム)とは性器を結合することによって至高の境地の状態にある仏たちである。
煩悩の消滅
バルドゥ(中有)の状態にある死者はこの幻覚を見て激しく恐れ、錯乱する。導師はこの本のお経を死人の耳元でお唱えし、バルドゥから救おうと努めるのである。救い、つまり解脱を指す。
解脱は尊師ブッダが説いた究極の不死の境地であるが、なぜ煩悩の消滅を説く教えと欲求つまり性欲を解放するチベット仏教がどこでどう結びつくのか;それは当ブログの過去の記事に書いてあるので参照されたい。
●関連→【チベットの死者の書】欲求を解放することによる自ずからの解脱とは〜ちくま学芸文庫版レビュー(2018年6月最新)
チベット仏教【マンダラ】の意味〜「チベット死者の書」についての考察
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