哲学

【ナグ・ハマディ文書】洋書レビュー(2)〜”グノーシス・知識”について

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日本で『ナグ・ハマディ文書』の完訳を読むには5万円ほどかかる。しかし英約版の洋書では約3000円でコンプリート版が販売されている。

以下アマゾンの販売リンク↓:The Nag Hammadi Scriptures, edited by Marvin Mayer( HarperOne; International, Reprint, Revised, Updated版 (2009/5/26))。

*前回【ナグ・ハマディ文書】洋書レビュー〜全体的な感想と紹介(1)の続き

知識

『ナグ・ハマディ文書』に書かれている”グノーシス”について、順を追って慎重に近づいていこう。まずいくつかの引用文と例えから入っていくのが良いように思われる。

「知覚の扉が拭い清められしとき、万物は人の目にありのままに、無限に見える」

ウィリアム・ブレイク『天国と地獄の結婚』

譬え

仏教が教える仏陀(ブッダ)とは”目覚めた人”という意味である。

盲人とは目の見えない人、視覚を欠如した人である。

暗闇の中では視覚があっても無くても何も見えない。しかし盲人は光が照らしても見えない。

視覚を備えた人は光に照らされた時、物を見ることができる。

眠っている時の反対は起きている時であり、眠りから覚めることを”目覚める”という。

白面

正典の『ヨハネ福音書』では救世主キリストが”光””言葉”と呼ばれている。つまり言葉は光であると。

酒に酔っている人を酔っ払いと呼ぶ。酒の入っていない人を白面と呼ぶ。

酔っ払いは気持ちが大きく、感情的で意味の分からないことを言う。また大げさにはしゃいだり怒鳴ったり、騒いだり暴れたりじたばたする。また自分のしていることが分からず他人に絡む。

白面の人は酔っ払いを冷ややかに見る。

目覚め

こんなもので充分であろう。つまりグノーシス・知識は目覚める、白面、光、見えることである。これに対してグノーシス・知識を持たぬこととは「無知」に他ならない。

「無知」は酔っ払い、眠っている、盲人、暗闇、見えないことである。

『ナグ・ハマディ文書』は言葉の形をとってパピルスに記されたグノーシスの光であり、これが”救世主”なのだった!

暗闇

言葉すなわち子は父から贈られた偉大な霊である。無知からの脱却こそが救いであり、グノーシス・知識こそが安息なのである。

すなわち知覚不能なる存在を超えた存在である父を、言葉である子を通じて認識すること。『ナグ・ハマディ文書』とはこのような内容なのである。

言葉とはこのような偉大な霊であるが、言葉はかれら作者たちの時代にすでに”アルコン”と呼ばれる「支配者たち」によって悪用されねじ曲げられたのである。

無知の分厚い暗闇が人間を包んでいる。霊には二種類ある。聖なる霊と汚れた霊。そのように言葉にも二種類ある。真実の言葉と偽りの言葉である。

*以下次回以降に続く【ナグ・ハマディ文書】洋書レビュー(3)〜”アルコン・この世の支配者”について

●参考→【ヘルメス・トリスメギストス】まとめ〜「全」「1」「言葉」について

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