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谷崎潤一郎【蘆刈】(あしかり)〜十五夜の月見の晩に出会った男の語った源氏風の恋物語

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谷崎潤一郎氏のそこそこ短い小説「蘆刈」のあらすじと簡単な感想を述べる。

あらすじ

そもそも洒落た題名の意味が現代人にはよくわからないであろう;話の中で主人公が蘆のたくさん生えた川の中の洲に佇んで月を眺めるのであるが、そこで玄妙な中年男性と出くわすのである。文体は「盲目物語」や「春琴抄」のようなひらがなを多用し句読点を排した語り口で読みやすい。

「源氏物語」の世界に憧れを抱く主人公はその生涯3度の全訳を出した谷崎氏そのものだろう、とある夕暮れに彼はふと思い立ち十五夜すなわち月齢15の月を見に出かける。日が暮れる前にうどん屋を見つけてきつねうどん2杯と酒を引っ掛け、手土産に正宗の熱燗を持って亭主に教わった渡し舟の乗り場へと向かう。

●参考→【谷崎潤一郎】「春琴抄」〜盲目の男女師弟が行き着いたサド・マゾヒズムの境地

十五夜の月見

船は岸と岸を往復しながら一旦川の中にある洲で乗り継ぐような形になっており、主人公はこの場所で月を見たならばどんなに素晴らしいだろうと考えた;船をやり過ごして洲に残りずんずん進んでいくと、両側を蘆の草に囲まれた一帯に出る。

そこはまさしく川の中に船を浮かべているかのような幻覚を催させる場所であった。月を見ながら古の優雅な世界の思い出に浸りつつ、漢詩を口ずさんでいるともう一人の男が主人公と同じく蘆の中で月見をしているのを見つける。

ひょうたんの男

男は同じくらいの年の中年でひょうたんに酒を入れて持っていた。しきりに勧められ酒を一緒にぐびぐび飲み、素敵な眺めに魅入るのであった。男は十五夜の月見をするようになった経緯を話し始める。

というのは男は幼い頃父に必ず月見に連れて行かれ、とある屋敷の垣根から艶やかな女が「源氏物語」のような管弦の遊びに興ずる様を覗いていたからだ。父は子供にその女と自分との満たされない恋の話を語って聞かせたのである。

優雅な女

女はお遊という名で後家だった;父はその女に見ほれて妻にしたいと思ったが世間が許さず、代わりにおしずという妹を嫁にもらった。せめてお遊の顔を度々眺めることができるように。だが初夜におしずはそんな父の心を見抜いており、姉お遊も父を好いているから自分は姉のためにも形だけの夫婦でありたいと語った。

こういう奇妙な3人の仲の良い暮らしがしばらく続いたが、徐々に周囲から疑いの目が向けられた。しかも忘れ形見のお遊の息子が肺炎で死ぬと、とある金持ちにお遊は嫁がねばならなくなる。

父親は3人で心中するよりもどこかの屋敷の屏風と襖の奥で、「源氏物語」のように華やかに管弦の遊びに興ずるお遊のことを思っている方が幸せだと告げる。お遊は嫁に行き再婚し、父親はおしずと契りを結んだ。そして生まれたのが今目の前にいるひょうたんの酒の男だった。

月明かりの幻

「これからまた父と同じ道を通って、お遊さんの姿を覗きに行くんです」と大阪弁で男は語った;「え、ではお遊さんはもう80近いのではありませんか」そういった途端、男の姿は蘆に流れる夜風と共にさっと消えていたのだった。

さながら十五夜の月が見せた一時の幻だったかのように。

まとめ

「源氏物語」に代表される日本の優美はよく月を題材にしている。昨夜の宮城県は月齢8の半月が雲のない空に煌煌と光っていたが、なぜ昔の和歌は恒星はじめ火星や土星のことには目を向けないのだろうか。半月の左に赤く輝く火星、西の方へ弧を描いて下る土星、そして夏は満点の夜のど真ん中に白く輝き秋の今は早々と沈もうとしている木星。

月は地上に一番近い天界でその上にまで思考をなぜ拡大・上昇できないのだろうか。そう思うと古の日本人の思考停止に少しがっかりしてしまう。

”谷崎源氏”と言われる潤一郎訳「源氏物語」の例えようもない日本古来の優美さを味わいながら、心のどこかでそれらの艶かしい着物を切り裂き血まみれにしてやりたいという欲望が芽生える。ボードレールの「破壊」の感情である。

谷崎潤一郎作品の”美”を満喫していると、「金閣寺」で金閣を燃やした三島由紀夫が創造した暴力的美の偉大さが、改めて感じられてくる。三島由紀夫を読み直さなくてはなるまい。

●参考→【三島由紀夫】作品レビューまとめ・2018年最新版

谷崎潤一郎訳【源氏物語】「夕顔」〜愛人を取り殺した魔物が出る話

ボードレール【悪の華】まとめ記事〜作品レビュー集

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