【ブレイク詩解読】天国と地獄の結婚(2)―知恵は地獄より来たる

ウィリアム・ブレイク——詩人であり画家であるこの英国の鬼才は、しばしば“予言者”とも呼ばれ、その著作は意味不明なほどに難解です。けれど、その言葉の不明瞭さを彩るように、彼の作品には鮮やかで唯一無二のイラストが添えられています。

深読みせず、ただ直観で感じる——それがブレイクの世界への正しい接し方かもしれません。この連載では、ブレイクの代表作『天国と地獄の結婚』を全4回にわたり約2000字ずつ取り上げ、原文の読解と翻訳、さらに独自の解釈を試みています。

*前回の記事はこちら→【ブレイク詩解読】天国と地獄の結婚(1)―善悪を超える声

プレート7〜10:地獄の箴言

旧約聖書『箴言』をもじったかのような、地獄からの知恵の言葉たち——それが「地獄の箴言」です。全4枚のプレートにわたって描かれた数々の警句から、印象的なものをいくつか抜粋します。

  • 「欲しはするが行為しない者は疫病を蔓延する」
  • 「馬鹿は賢者が見る同じ樹を見ない」
  • 「忙しい蜂は悲しむ暇などない」
  • 「いかなる鳥も自分自身の翼で舞い上がるのならば、高く昇りすぎることはない」
  • 「悲しみの過剰は笑う。喜びの過剰は泣く」
  • 「証明されたものとは、かつては想像されただけのものだった」
  • 「朝に想い、昼に行い、夕に食べ、夜に眠れ」
  • 「芋虫が卵を産むのに一番美しい葉を選ぶように、聖職者は一番美しい喜びに呪いを置く」
  • 「発明は真っ直ぐな道を作る。しかし発明なしの曲がりくねった道は天才のそれである」

……ほかにも数多くの示唆に富んだ文句が並びます。ひとつひとつに注釈を付けることはしませんが、心に残ったものをぜひ書き留めてみてください。

◯過去の関連ページ→ウィリアム・ブレイク「地獄の箴言」より〜狐とライオンの譬え

プレート11:聖職者とは誰か

古代の詩人たちは、森や川、山々、さらには国家にまで神々の名前を与えていました。彼らにとって自然や世界は神霊の宿る場所であり、都市や国とはその神々の性質を映す芸術作品だったのです。

チャビン・デ・ワンタル、イースター島のモアイ、エジプトのピラミッド、ストーンヘンジ……。これらはすべて、精神的神性を可視化しようとした“聖職”の象徴です。つまり、聖職とは本来、芸術活動そのもの。そして聖職者とは古代の芸術家だったのです。

しかし時代が進むにつれ、それらが“神の命”と誤って信じられ、神々は人間の胸の中にいるという真理は忘れ去られてしまいました。

プレート12〜13:預言者との対話

ブレイクは預言者イザヤとエゼキエルと食卓を囲み、彼らの行動や信念について尋ねます。「神の声を聞いたことはあるのか?」「なぜ後世の誤解を恐れずあれらの書を書いたのか?」——

イザヤは答えます。「神の姿を見たり、声を聞いたことはない。だが、すべての感覚が無限を感じた。真摯な憤りの声こそが神の声だと信じていた。だから書いた」。

「物事がそうであると確信する信念こそが、それを現実にする」——これこそ、詩人の信仰であり、かつては“山をも動かす”力だったとブレイクは述べます。

プレート14:知覚の扉

世界は火によって焼き尽くされる。だがそれは終末ではない。むしろ“ケルビムが炎の剣を置くとき”、すべては無限な存在として甦る——ブレイクの“知覚の扉”はこう語ります。

人は今、自らの内に閉じこもり、狭い隙間から世界を見ている。けれど、もしその「扉」が拭き清められれば——人は万物を、ありのままに、無限として見ることができる。

*次回はこちら→【ブレイク詩解読】天国と地獄の結婚(3)―深淵に響く幻視

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