弁護人なき死刑囚
プラトン全集第1巻でも全著作の中でも一番親しみやすく良く知られている作品「ソクラテスの弁明」は、哲学者の愛したアテナイ市民によって告発され死刑の宣告を受けるソクラテスの法廷での自己弁論である。いわば被告人なのであるが現代の法廷のように弁護士がつかなかった。
しかし弁明とはいえソクラテスは自らのこれまでの行いを信じ、泣きを入れるでもなく怒りもせず、淡々と必要なことだけを語った。作者となる若きプラトンも傍聴人として聴いている。その気高い様はケチ臭い犯罪者などとは及びもつかない。
まずソクラテスは死を恐れていない。なぜ死は恐るに足るものではないかは、「パイドン」で議論されている。また不当な評価によって法廷に引っ張り出されたことについては、後世に誤解が残らないように可能な限り簡潔に述べられている。何しろ弁論の時間は限られているのだから。弟子のプラトンは見事に師の教えを昇華したのである。
訴えられた理由
大体の訴訟の内容はこうだ;ソクラテス持ち前の智への探究心と議論好きによって、市内の若者たちが悪い影響を受けたということ。ソクラテスは神々をないがしろにし、ダイモンなるものを信じさせようとしたり、天上や地下の物事どもを教え込もうとしているというものだった。
だがそれらはでっち上げで元々彼を訴えた古くからの知り合いは、言うなれば”先生方”であり、智を売り物にして若者らからお金つまり授業料をとっている輩であった。ソクラテスはそういう先生方の所に出向いて問答をし、人々の前で彼らの無知を暴いて怒らせていたからだ。そんなソクラテスを慕っていたのは一部の若くて裕福な若者たちだった。なぜなら、智を追い求めるにはヒマが要るからである。もっとも哲学者自身はひどい貧乏でいたけれども。
こうしてソクラテスは死刑宣告の判決を甘んじて受ける。彼には女房子供がいた。このとき70歳だが、小さい子供も何人かいたのである。にも関わらず貧乏で、智者で、正義を愛し、アテナイを愛し、家族もいた年老いたソクラテスは気高い弁明の言葉を残して法廷を去った。これほど善良な人間があろうか。
まとめ
この本から学ぶべきは己が信じた正義のためなら死すべき命など顧みないということもそうだが、知識としての「無知の知」というのがある。「私は何も知らないということを知っている」という教えである。
これは一見矛盾しているように見えても実は非常に重要なのである。デカルトはその著作で確実に知っていることと、知らないことの間に厳密な境界線を引くべきと説いた。そうすることによってのみ正しい道を進むことができて、知識を自分の物にできるというわけである。
智と無知の間には、底知れない深淵があるのである。
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