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【芥川龍之介】『羅生門・鼻・芋粥』感想文〜感想のみ、大人向け

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『羅生門』

今日本文学を見直しているところだ。その一貫で芥川をもという訳なのであるが、どうだろう、上記の3代表作の出来栄えは。まず『羅生門』。教科書に載っていて高校の頃作家の描く不気味な”夜”そして盗賊の持つ”悪”に背筋を震わせたものである。

朗読家のwisさんの語り口で運転しながら聞きもしたことのあるこの傑作は、解説によると作家の初期の作品だという。夏目漱石と異なり芥川は20才そこそこの青二才から小説を書いている。従ってはっきりと作家になることを考えており、そこに自ずと格式張ったスタイルが現れている。

この傾向は漱石以後ずっと日本文学で続くことにになるのだが、いくら彼らが”偉くなろう”と思ったって、真理は逃げていく。ゆえに大抵自殺する。”偉くなろう”と思わなかった作家は漱石のみであり、”偉くなろう”とした最後の作家は三島由紀夫である。その彼ですら、自ら命を絶ち、群衆に自己の美醜の判定を委ねたとは、なんとも悲しい話ではないか?

というわけで『羅生門』の悪も闇も、大したことはなく、根底に流れている無常感のような宗教的雰囲気も高が知れている。確かに平安時代の廃れた雰囲気を味わいたいのには向いている。読者は大昔に旅立つことができるからだ。しかしそのような作品が次から次へと出てくると良い加減飽きてくる。

『鼻』

これは次の『芋粥』同様の退屈な教訓が含まれている話だ。要するに鼻の長いのを気にしている坊主が、弟子に頼んで処方してもらうのだが、うまく鼻が短くなった途端に今まで以上に周囲が彼を笑い者にし出す。見慣れたものは正しい、との教えか?

どんなヘンテコなものでも見慣れてしまえばそれが普通になるとの意味だろう。なんてつまらない真理だ、教訓だろう!まさしく高校生向け、これは次の『芋粥』も同じなのだが。

『芋粥』

芥川の極端に短い圧縮された短編を立て続けに読んだのは、同名の角川文庫なのだが、お決まりのように繰り出す古語辞典用語、時代物の単語の羅列はいささか飽きさせる。どんなに日本ぶったところで芥川はおそらく、どこからか海外文学から参考を得ているように思われる。

その理由は彼の作品は日本的ながらも風流を感じさせないからだ。何か野心的なものはあるのだが、その的に的中できず、陰気臭く自殺する。それも薬物で意識をべろんべろんにしてである。これならまだ三島由紀夫氏の方が文体でも死に様でも上であろう。

『芋粥』を読み終わって吐き気がした。ちょうど小説の主人公のように、である。それほどこの話の教訓も人物の性格も、腐った死体のように生気がない。こんな惨めな小説をよく出したものだ。要するに惨めな家来が芋粥をたらふく食うことを夢に思って日々生きている。(こんな夢を持つこと自体、すでに死んでいる)

そしてある行為により芋粥の饗宴に招かれるのだが、それを食ってしまったなら夢を失うことになるので絶望する、という話なのだ。学生諸君も若者ももしこの作品または作家から何事かを学ぼうとお考えならば、さっさと本を閉じ、マルキ・ド・サドでも読んで悪の道へ走る方が、どれだけましだかわからない。

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