ポーランドの天文学者コペルニクスが、1543年死の直前に発表した天文学書「天体の回転について」(岩波文庫版)をレビュー・紹介する。
第1巻のみの邦訳
まずこの文庫の体裁であるが、全部で6巻まであるコペルニクスの「天体の回転について」の第1巻だけしか訳出収録されていない。もし全巻完訳を読むために手に入れるには1万円以上の書籍を買わなければならない。
にも関わらずこの小さい薄い本には1巻の日本語訳のみならず、全6巻総目次や目玉付録とも言うべき充実した解説が付く。本文を半分とすればほぼもう半分は解説だから、立派な読み物として成立しているくらいである。
解説には「コペルニクスの生涯」、「コペルニクス以前の宇宙論」、「コペルニクス説の発展」などが含まれる。どれもただの解説では終わらない面白さだ。
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発表までの葛藤
「天体の回転について」第1巻はコペルニクスが気付いた地動説と太陽系と恒星天の関係が大胆に書かれているが、これを発表するまでにどれほど躊躇したかは法王パウルス3世宛に書かれた前書きに見られる。
すなわちコペルニクスはとうの昔にこの書物を完成させていたのであるが、親しい友人たちの非難と熱い薦めにより、ようやくこれを発表することに決めたという事実が。だが彼は発表後すぐに亡くなってしまったので、ガリレオのように厳しい処罰によって投獄されることもなかった。
コペルニクス後継者
解説「コペルニクス説の発展」には発表後コペルニクス説に同調した何人かの学者が挙げれられている;ジョルダノ・ブルノは公然とコペルニクス説を教えて回り、さらに自分流の思想も振り回す熱い思想家だったが、宗教審問にかけられ広場で火あぶりの刑で死んだ。
コペルニクス説の信奉者であったヨハネス・ケプラーが助手をしていた、ティコ・ブラーへは地動説を信じてはいなかったが、精密な観測記録がケプラーの研究に役に立った。ティコ・ブラーヘは決闘で鼻を削ぎ落とされ、金銀で造った人工の鼻をくっつけていたそうである。
ヨハネス・ケプラーは筆者はその本を読んだことはないけれども、解説によるとコペルニクスの論に数学的証明を与えた偉大な天文学者ということである。しかし不遇の天才でいつも生活や金に困り、それでティコ・ブラーヘの助手の仕事などをやっていたのである。
「新天文学」「コペルニクス天文学摘要」などを著したが、後者は速攻で禁書になるなどした。最後も生活に窮乏したまま亡くなった。そして天才ガリレオ・ガリレイについてはよく知られている通りである。
コペルニクス以前
「コペルニクス以前の宇宙論」は目を通すだけで天動説の概要が分かる優れた読み物。筆者も何度かアリストテレスの記事で天動説のことを書いている。
そもそもなぜ私が天動説に興味を持ったかは、古代の人々があるがままの宇宙をどのように認識していたかを知りたかったからに他ならない。ここではそれを繰り返すのは止そう。
天文学=数学
というわけで「あれ、第1巻だけしかないの?」と残念がる必要はないのである。これほどに魅力のある本を手に取ったのは多分初めてだろう。まさしくこの第1巻は私が読みたかった本だ。コペルニクスが地球が動いていると考えた理由、天動説も見方を変えるならば地動説に席を譲っても差し支えないのだという根拠が、哲学的に記されている。
哲学的と言ったが、プトレマイオスの「アルマゲスト」のように天文学は数学であるので、何かを主張するからにはその数学的根拠を証明する必要がある。それは第2巻以降の話で、一般人が読んでも全然面白くないか、わけがわからないだろう。
天文学初心者の筆者は今月天体観測器具と書物の購入に5万ほど使った;そのなかに「アルマゲスト」とユークリッド「原論」の邦訳書がある。「アルマゲスト」のページを開く前に”どうか理解力をお授けください”と神に祈る。それほど分からない。久々に神に祈った。
1、2ページ読むのに多大な精神力・思考力を消費するが、著者はこんなの簡単だよとか、明らかに分かるだとか言うので、自分が本当に馬鹿に思えるのだ。それほど難しい。だからコペルニクスの第2巻以降がだいたいどんな内容か想像がつく。
まとめ
第1巻にも若干数学的内容の記載があるが、それほどの量はないのであまり気にしないくてもいいだろう;よってほとんどが言葉だけのページだから誰でも読める。
まさに”言葉だけの本”は誰でも読める。しかし幾何学的内容は理解するかできないかであり、理解できなければ著者は読者を見放して置いて行ってしまう。残酷なようだがそういうことだ。
古代ギリシャ哲学者・プラトンのアカデミー入り口には「数学を学ばぬ者は入るな」と書かれていたそうである。