哲学

【易経】岩波文庫上下・レビュー紹介〜古代中国の知識哲学

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概要

『易経』は、名前は知っていたが永らく手の出ない本であった。「占い」(イコール迷信)というイメージが強く、永らくキリスト教のDeus如来かぶれだった筆者の、最も警戒・唾棄すべき書のように思われていたからである。

ところが実際に読んでみると、占いの要素はあれども、そもそもの「占う」という意味を考えさせられる内容であった。今ここにその中身について報告するとともに、もう一度よく考えてみたい。

きっかけ

『周易』を読む気になったのは曹洞宗の日課に洞山作『宝鏡三昧』があり、このような記述を目にしたためである。

”重離六爻 返照回互 畳んで三となり 変じ尽きて五となる

荎艸の味の如く 金剛杵の如し”

この句の意味がもし分かるという人がいたならば、その人は99%増上慢に陥っていると言って良い。

解説

あの孔子ですら注釈を付けるほどの『周易』、『荘子』『老子』とともに本場中国で”三玄”と称される奇書の解説を、私のごとき一私人ができるとは思っていない。が、少しだけ学んで気づいたことはいくらかはある。

『易経』は単なる占いの本である以上に古代の哲学だと言える。またこの書を読まなければ日本の密教も禅宗も、日本古来の学芸もはたまた日本の仏教自体理解することは不可能である、と今は考える。

シンボル

陽と陰の単純な記号が三つ重なって「卦」と呼ばれる印を8通り作る。さらにこれを上下に重ねて64通りの組み合わせで吉凶を占う。そればかりではなく、宇宙の全現象を説明しようとする、それが『易経』という本らしい。

数と記号の関係は一年365日とも結びついているが、その複雑な計算はややこしいので深入りしない。そもそも「占い」とは、未来の予測でなくて何だろうか?そして未来の予測とは、現在の「卦」を読み解くことでなくて何であろう。

読み解くとは、「吉凶」の判断でなくて何だろうか?そもそも吉・凶の意味とは?物の良し悪しであるが、良し悪しの基準もまた人により異なる。小人の良し悪しの基準と、君子のそれは違う。

凡夫の良し悪しの基準と菩薩のそれとは違う。吉か凶かは、その人がその時々の判断する行動や考えを決めるための基準であり、その決定は無意識の内に未来を占っているのである。

一念

一念の内に恒河沙の刹那あり。刹那刹那は占いの連続であり、未来との対峙だと言える。「易は逆数なり」とは十翼の一つにある解説だが、過去は読みやすく未来は読み難いことを指している。

過去は、現在を起点として解読されるが、現在は過去の結果であるがゆえに、簡単に理解できる。これに対して未来は、現在変化している卦を読み取り、予測される性質のものである。

現在を原因としての結果が未来に生ずるから、過去のように簡単には説明しにくい。しかしこれまでに繰り返されてきた一定の法則から、未来を占うことは、全く不可能とは言えない。

朝日が昇る。夜が明ける、と考える。これもごく簡単な未来予測である。太陽は夕方に沈むだろう。この単純さが、複雑な宇宙に発生する事件を解読する鍵なのだ、とこの書は教えているような気がする。

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