【夏目漱石】『坊ちゃん』レビュー|荒くれ新米教師の奮闘と江戸っ子気質の痛快さ

小説

【夏目漱石】『坊ちゃん』レビュー|荒くれ新米教師の奮闘と江戸っ子気質の痛快さ

作品の概要

夏目漱石の代表作の一つ『坊ちゃん』。新潮文庫版で180ページ弱、比較的短くサクッと読める作品だ。

「長編でたっぷり味わいたい」という読者には、500ページ超の『吾輩は猫である』の方が向いているかもしれないが、『坊ちゃん』は書き下ろし作品であり、連載を重ねた長編とは異なり、一気に読み進められるまとまりがある。

文庫巻末の註も充実しており、漱石の時代背景や語句の意味、社会事情を知る手がかりとなる。軽く見逃さず、丁寧に目を通しておきたいところだ。

禅と風流のエッセンス

筆者が漱石から学んだのは、何よりも“禅”と“風流”という日本文化の奥深さである。

漱石が漢文に秀でていたことは『思い出すことなど』にも描かれており、その随筆の多くは漢詩や俳句で締められている。自然と人工の境界線を繊細にとらえる眼差しは、日本人の美意識そのものだ。

とはいえ『坊ちゃん』は、禅語の出番は少なく(「父母未生以前」などは登場しない)、むしろ江戸っ子の人情とユーモア、意地の張り合いといった要素が前面に出ている。言ってみれば、現代でいう“職場コメディ”のような味わいだ。

ざっくり内容紹介

冒頭のくだり――親指をカッターで切って二階から飛び降りる――は教科書でお馴染み。筆者も学生時代にそこで止まってしまったが、大人になって改めて読むと、物語の趣が違って見える。

物語は、正義感ばかり強くて世渡り下手な坊ちゃんが、四国の中学校へ新任教師として赴任し、周囲の偽善や陰湿な派閥争いに巻き込まれていくというもの。要は、まっすぐすぎて社会の汚さに適応できない若者の奮闘記なのだ。

やがて坊ちゃんは職場を離れるが、彼の心はどこか晴れやかだ。合わない場所にしがみつくより、自分らしく生きられる場所に戻る――その選択が、潔くもあり痛快である。

そして物語の陰の主役ともいえるのが、坊ちゃんを支える老女・清(きよ)だ。彼女の無償の愛情が、作品全体にぬくもりを与えている。

漱石の作品には、死がどこか淡々と描かれる傾向がある。本作でも「清は墓の中で坊ちゃんが来るのを待っている」という描写で締めくくられる。この時代、人の死はもっと身近で、静かな別れだったのかもしれない。

現代の視点から見た『坊ちゃん』

今読み返して感じたのは、坊ちゃんの“べらんめえ口調”の強烈さだ。

江戸っ子の気風として受け取るべきかもしれないが、彼は出会う人間にあだ名を付けまくり、心の中で9割以上の相手を見下している。こうした性格は面白い反面、少し暴力的な印象を与える。

この“荒ぶる坊ちゃん”の語りが、作品をぐいぐい引っ張っていく最大の魅力でもあるのだが、現代人の目から見ると「もうちょっと落ち着いて」と思わずにいられない。

だが、まさにその荒削りな性格こそが、『坊ちゃん』という作品に独特のリズムとエネルギーを与えているのだとも思う。

まとめ

『坊ちゃん』は、ただの青春小説ではない。若者の純粋さが社会の矛盾にぶつかり、挫折し、それでもまっすぐに生きようとする姿勢を描いている。

読むたびに違う感慨を抱かせてくれるこの作品。若いうちに読んで、年を重ねてまた読むことで、坊ちゃんの“ぶっきらぼうな正義感”の奥にある温かさに、ようやく気づくことができるかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました