【万葉集】柿本人麻呂・和歌〜ひむがしの 野にかげろひの 立つ見えて〜レビュー

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和歌

高校の頃誰でも習う、脳天の奥底に記憶させられ焼き付いているこの和歌、

東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

は『万葉集』に納められている。全訳古語辞典などで”ひむがしの”で引くと和歌の項目で出てくる。一昨日のことだ、夜寝ている時にこの和歌がずっと頭の中で鳴り響いていたのは。

調べると、調べれば調べるほど謎の多い柿本人麻呂なる歌仙の句だという。学校で習ったはずの、先生に無理やり暗記させられたこの名前が、50歳に差しかかろうとする私にとり今、なぜこんなにも神秘的なのだろう。

日本人

ここに、筆者は謝らないといけない。私は青年時代からこのかた、ずっと日本の歴史や文化そのものを軽蔑し、唾棄して生きてきた。その理由は日本の遺跡のスケールと構造の貧弱さ、知的文化の遅れ、オリジナルの無さ、などである。

まず日本の美術の建築は木造で、イースター島やメキシコ、エジプト、はたまたギリシャ・ローマのような組積造ではない。言わずもがな、木造建築の方が作るのが楽なのはお分かりだろう。まず運ぶのも楽、加工するのも楽なのだから。

さらに日本史の最古のものは外国の記録に頼る有様で、ようやく最初の文字である漢字が中国から入ってきたのはすでに5、6世紀頃(だよな?)。自国の言語で考えるどころか、文字すら持っていなかったとは!

一方その3千年以上も前に、ナイル川の辺りでは魂を永遠化する魔術的言語がエジプトの祭祀によって石に刻み込まれていた。もっと下ってその1500年も前に、イスラエルで、モーセという預言者が驚くべき内容の書物を書き表していた。もっともっと下ってその800年ほども昔にすでにギリシャではプラトンとアリストテレスが宇宙の根源のついて深い思索的著作を残していた。さらにもっと下ってその2、300年前にはアレクサンドリアのプトレマイオスが世界地図を作り、全星座の運行表を計算して表した。

このような知的文明の発展の遅れを見て、私は私の祖先の仕事を心底恥じた。西洋がそうだった頃、私たちの祖先は文字を発明することもなく、ただ農耕や狩猟をやり飲み食いして虫けらのように死んだのだ。だから誰の名前も残っていないのだ。

文明

このように歴史の時系列を並べて国同士を比較すると、我が国が非常に劣ったあるいは遅れたものに見えてくるのは否めない。だから柿本人麻呂の和歌が、単に東に夜明けを見て首を180度回したら入りかけている月が見えた、というだけの歌が、何かこう、限りなく白痴的に思えてくるのである。

しかし、この31音節の中にありったけの思いを表すのが日本独特の美なのであり、小泉八雲が夢中になった日本の秘密なのである、と思えるようになってきた。

阿騎野

奈良には由緒ある地が多い。和歌の舞台となった阿騎野(現・大宇陀)もあれば、明日香村の川原寺もある。この地の昔に思いを寄せて、文武天皇に同行した官人としての人丸の情緒を啜ってみよう。

まずこれは朝ぼらけ、これから1日が始まる。ここは野外である。頭の上には日本の天が開けている。神話にある高天、ギリシャ神話でいうオリンポスのようなものが。

たとえプトレマイオスのように各星座の位置を数値化することはできないおぼこチャンどもだとしても、太陽と月くらいの認識は得ることができる。それほど、この二つの天体は目立つからである。果たして今の日本の大人の中で7惑星を指で指せる人が何割いるだろうか?仕事に忙殺され、いくつ星座を言うことができよう?

というわけでは人丸君も東という方位は知っていたようだ。この時月が傾いていたのは西だから、南と北も知っていたはず。ということは円の4等分が90度だとの意識を漠然とながら抱いたの違いない。

まとめ

あまり昔の人いじめるのはやめよう。この和歌はここに書いてある通りの内容、それ以上でも以下でもない。自殺しそうな時、絶望した時、身も心も弱るくらいに悲しい時、人を殺したい時、物を壊したい時、果たしてこの31音節の和歌が助けてくれると思うだろうか?

助けてくれはしない。我が国のレガシーは道楽でしかなく、風流を味わうための物である。だから今まで私は背を向けてきたのである。そんな風に生きる余裕はなかったから。

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