哲学

【般若心経】中村元訳・岩波文庫より〜”馬の耳に念仏”に付いて考える

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中村元

”馬の耳に念仏”はうまく真理を言い当てている。日本の東北の田舎に生を受けながら、今までこの経の有り難み(と言おうか)がわからなかったなんて!ちなみに実家は曹洞宗で葬式や命日では必ず和尚さんの念仏を聞く。『般若心経』もきっと何回も聞き、読まされていたやもしれぬ。

問題はここの判別が出来ていないという点。何を和尚が読んでいるのか、何を参列者達は読まされているのか、わかってない。『般若心経』を読み、暗記するために私は愛読している中村元先生の本を選んだ。身近な人の死がその要因となったとも言える。

また漢文の勉強をさらっとし、中国語の構造を探り、書き下し文は最近ハマっている古文の勉強で補った。このようにして経をより理解しやすいものとして捉えようとした。

註解

そもそも漢字で300字ないこの経には、仏教の教えの心髄が凝縮され、古今より膨大な注釈が与えられてきたようだ。これはちょうどプラトンの単純な対話篇や「創世記」などに、西洋では数知れない注解が書かれてきたのを思い出させた。

また経に書かれていることは、西洋の聖典に書かれている内容に一致することが多いように感じられた。たとえば冒頭の

観自在菩薩かんじざいぼさつ深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみったぎょうじしとき五蘊ごうんみなくうなりと照見しょうけんして、一切いっさい苦厄くやくしたまえり。

では、『ヘルメス選集』の「ポイマンドレース」を思わせる。「ポイマンドレース」では、このような書き出しになるが。

 あるとき、諸有に関する思惟がわたしに生じ、わたしにとって思考がはなはだ高まり、食事の満腹とか身体の疲労によって夢の中に投げこまれた人たちのように、わたしの身体的な感覚が停止したとき、途方もなく巨大なあるものが、わたしの名前を呼ぶように思われた、わたしに言いながら、「おまえが聞き、観、理会して学び、覚知したいことは何か?」-(Barbaroi!より)

これが漢訳の般若心経だと

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

となる。中国語というのはこのように、日本人に適した、いかにシンプルなものかが分かる。般若心経はただでさえシンプルな経を、さらに漢文で絞ったスタイルで日本に伝来したのだ。

伝来

西にイエス・キリストが生まれ、東にブッダが生まれた。それぞれの教えは物質的移動の手段によって伝来した。仏教も物体的移動によって伝来し、その道のりはネットで知ることができる。

wikipediaより

まるで川の流れである。西で犯罪者として死刑にされたナザレ人の教えが全世界に広まったように、東のブッダの教えは強大な力で広がった。日本にものちにキリスト教はやってきたが、その前からすでに真理はブッダによって説かれていた。

まとめ

イスラエル、エジプト、ギリシャ、ローマ、アレクサンドリア、アラビア、ヨーロッパと知識の流れを辿り、日本に目を向ける。自分自身が生まれ育った地にどんな教え、知識が伝えられてきたか。外国の膨大な学問など漁らずとも、すでに小さい時から耳元で真理は唱えられていたのだ。『般若心経』である。

ただその意味は誰にも分からなかった。教えてもくれなかった。だから自分で解読した。大変な時間と労力と犠牲を払って。これが”馬の耳に念仏”ということなのか、と。

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