【自分自身とは何か】自己嫌悪とナルシズムを哲学と文学で読み解く

哲学

【自分自身】とは何か〜自己嫌悪とナルシズムの心理メカニズム

古代ギリシャ・デルポイのアポロン神殿には、有名な神託の言葉が刻まれていた――「汝自身を知れ」

この神託は、哲人ソクラテスにも向けられたものである。神は彼を「ソクラテスより賢い者はいない」と称えたが、それは彼が何も知らないことを自覚していたからだった。つまり、無知を知っている者こそ真に賢いのだという逆説的な知恵が、ここに込められている。

無知の知とは?プラトン『ソクラテスの弁明』解説

「自分自身」とは誰なのか?

「自分自身」という言葉は、実に不可解で多面的な存在を指している。誰よりも自分に近いが、時に自分にとって最も理解しがたく、恐ろしい存在にもなりうる。

心の中には、自分を励まし、称賛してくれる「自分自身」もいれば、逆に批判し、責め立て、否定する「自分自身」もいる。それはまるで、親友であると同時に最大の敵でもあるような存在だ。

たとえ世界中の人から軽蔑されようとも、「自分自身」が自分を信じ、尊重していれば、それでいいと感じられることもあるだろう。しかしその逆――自分の中の「自分自身」が自分を見下し、嫌悪する時、人は底知れぬ苦しみを味わう。

自己嫌悪という毒

外面的には穏やかで評判のいい人でも、内面では自分を憎み、恥じ、罵倒していることがある。これがいわゆる「自己嫌悪」の状態だ。

多くの場合、自己嫌悪は過去の出来事や言動に対する反省から始まる。「どうしてあんなことを言ったのか」「なぜもっと気を遣えなかったのか」と、自分の記憶をさかのぼっては責める。そのうち、「あのときの自分はバカだった」と思い始め、どんどん自己評価が下がっていく。

さらに深刻なのは、現在進行形での自己否定だ。「自分は何をやってるんだ」「何の価値もない」「消えてしまいたい」。こうした感情に苛まれたとき、人は孤独と絶望に沈む。

このような情緒は、太宰治の『人間失格』の中でも克明に描かれている。

太宰治について女たらし・酒飲み・甘ちゃん・薬中・腑抜け

ナルシズムという鏡

一方で、自己嫌悪とは逆の極に位置する心理がある。それが「ナルシズム」だ。例として挙げられるのが、三島由紀夫のような人物だろう。

自信に満ち、自らの価値を高く見積もり、他人の評価よりも自己評価を優先するタイプ。これは一見「自分をよく知っている」ようにも思えるが、実際は「自分自身」にお世辞を言わせているに過ぎない。

本当の自分の弱さや愚かさを直視せず、自画自賛の世界に閉じこもる姿は、かつてソクラテスが戒めた「ソフィスト(詭弁家)」と同じく、知ったかぶりの表れと言える。

三島由紀夫とナルシズム三島由紀夫『太陽と鉄』解説

「自分自身」との付き合い方

結局、「自分自身」とは、ギフトであると同時に呪いでもある。

上手く扱えば最良の助言者となり、人生を前に進める強力な推進力になる。しかし誤って扱えば、容赦ない裁判官として人間を押し潰してしまう。

文学ではこの「自分自身」の声を「良心」として描くことが多い。ロートレアモンの『マルドロールの歌』では、良心が悪をなそうとする主人公を追い詰める様が不気味に描かれている。

ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』紹介

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文責:taka(書き損じた賢者)

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