デカルト著作集1は『方法序説』に発表当時と同じ3つの試論が付いた決定版だ。うちひとつ「幾何学」について。
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【ルネ・デカルト】「気象学」紹介と感想〜デカルト著作集1(白水社)
注意
まず本の最初には次のような”注意”がある;「これまで私はすべての人にわかりやすい表現をするように努めてきた。しかし本論文は、幾何学の書物に記されていることをすでに知っている人にしか読まれないではないかと思う。というのも、
これらの書物は見事に証明された多くの真理を含んでいるので、それを繰り返し述べることは余計であると私は考えたが、しかも、それらを使うことはやめなかったからである。」
ページ数で言って80ページ、本は「幾何学」だけ巻末から横書きで始まる。いかにも数学の教科書といった雰囲気。しかし、デカルト先生の”注意”にあった通り、筆者もご多聞にもれず途中から付いていけなくなり”立ち読み”状態となった。
それでも全部目は通した。何も知らないで読むと中学の数学の復習かと思わされるけれど、だんだん問題がマニアックになってくるので、かなり数学が得意または好きな方でないと意味が分からないと思う。
古代人
そのような事情で本レビューは”Newton別冊 微分と積分 新装版”および解説・注釈などを参照しながら進めざるをえない仕儀となった。デカルトは古代人つまりギリシャ人の残した数学に疑問を抱き、新しい道具つまり”座標”とか”記号”とか”方程式”とかを編み出した人である。
当時はルネサンスを経て長大なブランクを超えて古代人の知識が学院で教え込まれていたという。アイザック・ニュートンは微分積分や万有引力を発見したが、彼もまた古代人の幾何学は退屈でデカルトとかガリレオばかり勉強していたらしい。
実際ユークリッド『原論』などは記号で1行で表現できることを文字でページ数枚に渡って延々と証明するのだからたまらない。フリークでないと読めない代物。この文字による記号の使用はデカルトが考えた;それが「幾何学」で発表される。
「精神指導の規則」の終わりあたりにすでにそのような下案が現れていて、「幾何学」の序文と言えるほどである。デカルトはある手紙で「しかし僕は、何かある光がこの学問の暗い混沌を貫いて輝くのを見たのだ。この助けによって、最も深い闇をも散らすことができると僕は考えるのだ。」と書いている。
光あれ
ニュートンはこう語っている;「私が遠くまで見渡すことができたのは巨人の肩に乗っていたからである」と。詩人アレキサンダー・ポープのニュートン墓碑銘「自然と自然の法則は夜の闇に包まれていた。神は言われた。『ニュートンあれ!』すると全ては光の中に現れた」は有名である。
天才の驚異の発見もデカルトの仕事なくして成り立ちはしなかった。「幾何学」はこうして数学が古代から徐々に進化し現代の形になっていったのだな、ということがわかる逸品の書物だ。数学が当時では革新的な、突然変異を起こす様子とでも言おうか。
デカルトが創始したのは「解析幾何学」と呼ばれる。もう一度繰り返すが筆者は本の数学的問題はさっぱり分からなかった。高校で全然勉強しなかったからだ。『方法序説』も、この3つの論文を読んでからだと明らかに読感が違ってくるだろう。
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