哲学

アウグスティヌス【神の国】第五巻「悪魔祓い」記録・古代キリスト教時代の闇

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アウグスティヌスは北アフリカ生まれ・聖人で紀元4世紀から5世紀の神学者・哲学者である。古代キリスト教のラテン教父の一人とされる。

「神の国」について

「神の国」は岩波文庫版で全5巻にわたり、一冊あたり500ページほどのボリュームがある。なのでよほどの興味に動かされない限り第1巻で挫折する。筆者もそうだった。

題名からしてあまり現代人にとって関心を引くものでない。「神の国」、そもそもそんなものあるのかどうかわからない。あるのかどうかもわからないもののために2500ページにわたって論ずるのであるか。

聖アウグスティヌスのこの本は「神の国」があるのかどうかの議論をしているのではない。それは必ずやってくる。

主キリストを信ずる者はそこへ入り、否定した者は悪魔とともに永遠の火に投げ込まれるのだ。

このことはもはや不動の信念と信仰に基づいており、確固たる意志によって支えられている。たとえ死でさえもこれを否定することは出来ない。

第五巻の概要

「神の国」は聖書によって預言された「最後の審判」のあとにキリストによってもたらされる。すなわち善き者たちはこの国を受け継いで、永遠の生命に入る。

悪しき者たちは永遠に燃え盛る硫黄の火の池に投げ込まれ、世々限りなく苦しめられる。これを聖書は「第二の死(Morus Secunda)」と呼ぶ。

第五巻はこの「最後の審判」を主に扱った書で、「神の国」全体でも最も核心に迫る内容と言える。

そこではいかにして肉の身体が復活するかとか、消えることのない火とはどのような性質のものであるか、消え去る天と地および新しくなる天と地などを仔細に論じている。

科学が発達した現代となっては、迷信で終わりもしよう。だがそんなに単純な問題で片付けていいのか?

確信をもって最後の審判も神の国も永遠の火もありはしない、と言えるのか?しかしアウグスティヌスには信仰がある。現代の科学といえどもそれには勝てまい。

第五巻の第8章には当時起きた色々な奇跡について書かれている。その中に筆者は興味深い記述を見つけた。すなわち聖人の起こした奇跡と悪魔祓いについてである。

そこから悪魔祓いに関する部分を抜粋しようと思う。

カルタゴの黒人少年

カルタゴに痛風に病んでいる一人の医者がいた。彼は洗礼を受ける前の晩に夢をみた。

ダエモンと見受けられる毛の縮れた黒人少年たちが現れ、彼に洗礼を受けるなと言った。医者が拒否するとダエモンらは足を踏みつけ、激痛を呼び覚ました。

医者が夢に屈せず誓いの洗礼を受けると、痛風から完全に解放され以後これに悩まされることはなくなった。

ダエモンはギリシャ語でダイモーンのことで、英語やフランス語で「悪魔」を意味するDemonの語源である。

ヘスペリウスの家畜

アウグスティヌスが住んでいた近くにヘスペリウスという名の護民官がいた。ある時彼の地所の家畜および奴隷が傷つけられた。

紀元4世紀ヨーロッパの暗黒に包まれていてその傷つけられ方や時がどのようだったかはわからない。が彼はその仕業を霊たちの襲撃であると判断した。

彼は司祭を一人呼び、禍が止むことを全力で祈ってもらった。神の憐れみによって襲撃は去った。

またヘスペリウスはキリストが葬られ復活したその土をエルサレムから来た友人からもらい、寝室に吊るしていた。

ウィクトリアナの若者

ウィクトリアナと呼ばれる屋敷がヒッポの近くにあり、そこにミラノの殉教者たちの聖遺物があった。

ここに悪魔に取り憑かれた一人の若者が連れてこられた。彼は夏の真昼の時刻、川で馬を洗っていたところダエモンに襲われた。

若者は死人同然で横たえられ、屋敷の婦人が下女と修道女たちと夕の祈りの賛美歌を歌い始めた。

それを聞いた若者は突然衝撃を受けたかのように昏睡から覚め、恐ろしいわめき声をあげて起き上がった。

そして祭壇につかまると身動きを止め、あたかも接着剤でくっつけられたようになっていた。

悪魔は悲鳴をあげて許しを乞いはじめた。そしていつ、どこで、どうやって若者の中に入ったかを告白した。

根尽きて悪魔は若者から離れると約束した。しかしその時には身体をバラバラにしてやると言い、体各部分の名前を読み上げた。

ようやく悪魔が若者から立ち去ったが、彼の眼球が眼窩から飛び出し、顎のあたりまでずり落ちていた。

眼球は血管でつながりぶら下がっていて、黒いはずの瞳が全体白に変わっていた。

叫びを聞きつけて人々が集まり、彼のために祈ると若者は正気に戻って立ち上がった。そして医者が連れてこられ、眼を直させた。眼球は一週間で治ったという。

その他の悪魔祓い

ヒッポのある処女もダエモンに取り憑かれ、司祭の祈りと司祭の涙の混じった油を塗ってもらうことで直ちに癒されたという。

またアウグスティヌスの知り合いの司教は、会ったこともない一人の青年のために祈ったことがある。すると青年は悪魔から解放されたという。

まとめ

アウグスティヌスが生きたのはローマ帝国でやっとキリスト教が公認され、国教となったばかりの時代。主キリストが十字架に架けられ、使徒たちは殉教した。

あとに続いたキリスト教徒の多くが迫害され、無残に殺された。それら殉教者たちは聖人となった。

中世ヨーロッパでいかに悪魔や魔術といった迷信が根強かったとしても、そのさらに古代世界においてはどうだったのか。

迷信は妄想であり、想像の中にいるものである。迷信の中で信じられていた悪魔は、古代では肉眼で見えていたのではないか。

なぜなら現代では悪魔は迷信の中にさえおらず、科学がその観念を人々から吹きさらってしまったのである。つまり悪魔は進化し知覚不能になった。

だがアウグスティヌスの時代、悪魔は眼で見えたのだろう。いかに古代とはいえ紀元3世紀ともなれば学者たちも理性的であり、ましてやアウグスティヌスは哲学者でもあるのだから。

お読みになればわかるがそのように博識な人がこのような悪魔祓いの記録を残しているのはどういうことなのか。その時代悪魔が実在していたより他に理由はない。

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