【三島由紀夫】短編「葡萄パン」感想|マルドロールとティーパーの夜をめぐって

baked breads and cookies on brown wooden board 小説

【三島由紀夫】短編「葡萄パン」紹介・感想〜『マルドロールの歌』とダンス・パーティー

三島由紀夫の自選短編集『真夏の死』に収録された短編「葡萄パン」は、時代の若者文化と耽美な幻想が交差する一編だ。三島自身の解説も添えられており、それも踏まえて感想を綴っていく。

流行語と若者文化の虚無

「葡萄パン」は1963年、『世界』に発表された。サイケデリック文化が日本にも波及し始めた頃である。物語に登場する若者たちの言葉遣いは、いかにも一過性の軽薄な流行を映しており、今読むと笑ってしまう。

ツーク(靴)、スイク(睡眠薬)、ナオン(女)、ルービ(ビール)、ティーパー(パーティー)など、すべて逆さ読みだ。ジャック、ゴーギ、キー子、ハイミナーラといった登場人物の名前も、今となっては妙に古臭く、逆に味がある。

“ティーパー”の夜

主人公のジャックは、由比ヶ浜から稲村ヶ崎を経て、ヒッチハイクで若者たちの“ティーパー”に向かう。ビールと睡眠薬でハイになり、太鼓のリズムで火を囲んで踊る。そして黒魔術のまねごととして鳥の首を落とす……。

しかし騒ぎの夜が明けると、幻想はあっさり終わる。「千年に一度の壮麗な夜明け」を期待していたはずが、そこにあったのは「見るもぶざまな、最低の夜明け」だったのだ。

三島由紀夫はしばしば、自然や宇宙を“神聖なもの”として扱わない。それどころか、「空は青銅の牢獄となり、大地は鉄と化す」など、逆説的に自然を冒涜する語りが織り込まれる。

『マルドロールの歌』とジャック

物語は4部構成で、第4部から突然文学的色合いを強めてくる。夜11時、ジャックは東京の四畳半のアパートに戻り、扇風機を回しながら腹ばいになって『マルドロールの歌』を読み始める。

三島が栗田勇訳のこの作品を読んでいた痕跡が、この短編に刻まれている。ジャックが読んでいたのは現代思潮社の1960年刊行版と推定され、筆者も古書を即座に注文してしまったほど、予想外の登場だった。

特に引用されるのは、鱶とマルドロールが海中で交わるシーン。三島作品とロートレアモンの幻想とが、ここで重なり合う。

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四畳半の葡萄パン

汗だくになりながら詩を読むジャックは、空腹に襲われて食料を探す。残っていたのは、蟻に食われかけた酸っぱい葡萄パンだけだった。

その後、酔ったゴーギと「白衣のナオン」がジャックの部屋に乱入し、隣で性交を始めるがうまくいかない。ゴーギはジャックに女の片足を引っ張るよう頼み、「そうすればできる」と言う。

葡萄パンを齧りながら『マルドロールの歌』を口ずさみ、ジャックはナオンの足をつかむ。二人の行為が終わると、ゴーギは「アフター・サービスをしてくれ」と言い残して去っていく。

意味のあるようで無意味な時間。ジャックは、ナオンの開かれた脚の間に座りながら、再び詩の一節を唱える。「無意味」が「水道管の破裂のように至る所から噴出していた」と。

それは確かに“無意味な”出来事かもしれない。しかし、この短編には、現実と幻想、低俗と崇高、破壊と文学の狭間を生きた三島由紀夫の精神が、静かに息づいている。

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