大正12年6月発表の戯曲「山吹」は三島由紀夫と澁澤龍彦が対談で絶賛しているため、鏡花作品中でもその名はよく知られていると思う。この時代に書かれたとは思えないサド・マゾヒズム的テーマを扱った内容でもあり、かつ鏡花戯曲の気違い染みた魔界の妖気が満ちている。
●参考記事→澁澤龍彦【三島由紀夫おぼえがき】中公文庫版〜レビュー
あらすじ
修善寺温泉近くの山中が舞台;辺栗藤次69才は酔っ払いの人形使いで、お寺のお祭りの日、木に人形を立てかけたまま万屋(よろずや;いわゆる昔のコンビニ。お菓子だの日用品だのが売っていて、居酒屋代わりに食い物も酒も飲める)で呑んだくれている。
「今日の飲み代はもう稼いだべ、仕事は終わりだ」と言いながらひたすら親父に酒を注がせる。祭りに出かけていけばもっと金になるだろうものを。お構いなく人形使いは夕暮れ前から酒を飲み始める。
洋画家
一方洋画家の島津正45、6才と小糸川子爵夫人の縫子25才が登場;夫人は昔料理屋の娘だった時分に洋画家を店で見たときから、島津に恋情を抱いていた。ずっと憧れ続け家庭を捨てて追いかけてきたのである。夫人は思いを打ち明けるが、画家が応えてくれないなら小川で死んでいる鯉のように自分もああなってしまうだろうと迫る。
だが画家は仕事に夢中で夫人の申し出を拒絶する。もはや恋敗れて絶望したところへ人形を背負った辺栗が酔っ払ってよろよろやってきた。自暴自棄になりなんでもお前の願いを叶えようと人形使いに言った。辺栗はニヤリと笑うと縄を持ってジリジリと詰め寄る。二人は木立の中へ消える。
通りかかった馬引きが木立の影を覗き、青い顔をして出てくる。「あれあ魔物だ、恐っかねぇ」
人形使
人形使いの願いは夫人のような若く綺麗な女に鞭打たれることであった。子爵夫人に激しく鞭打たれながら悦ぶ人形使い。18世紀フランスのポルノグラフィー小説のようである。
「もっと強く打て!もっと強く!」そこへ再び洋画家がやってくる;驚いて慌てて止めに入り、人形使いに対しなんでそんなことをやっているんだと責める。辺栗は若い頃に女絡みで罪を犯したことがあって、その罪悪感から折檻されることに喜びを感じるのであると告げる。
夫人はもう一度画家に恋心に応える気はないか、ダメであれば自分はもう一生この爺さんに付いて言って、人形使いの欲望のままになってしまうぞと脅かす。やはり画家は芸術の仕事があるからと断った。
人形使いと子爵夫人は”南無大師遍照金剛” の念仏を一緒に唱えながら立ち去る。
まとめ
読めば気が狂い魔界に連れて行かされる戯曲。文章は難しいので段落は3回ずつ読みながら進めば大丈夫。もはやこの世界には平凡さ・退屈さあふれる日常は存在しない。
次回はもっと狂気じみた信じられないような内容の戯曲「多神教」を紹介しようと思う。お楽しみに。
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