第16歌〜怒り
煉獄第三圏で浄化を受けているのは「怒りの罪」だった。
詩の内容によると地獄の闇よりも濃い暗黒がダンテとヴェルギリウスを襲った。師匠に手を引かれながら盲人のようにダンテは進んだ。
濃い煙の中からはAgnus Dei(神の子羊)の聖歌が聴こえる。その声に混じり13世紀の宮廷人マルコ・ロンバルドが、人間の自由意志と運命の必然性について語った。
第17歌〜夜
二人はようやく視界を得た。濃霧の外へ出ると光に包まれた天使が来て、翼の羽ばたきでダンテの罪をまた一つ消す。
しかし相変わらずダンテの目はその光に耐えることができない。次の圏へと石の段に足をかけた時、天使は「悪しき怒りなく、平和を求める者は幸いだ」という聖書の言葉をかける。
煉獄の第四の環道へ差し掛かったが日が暮れたために二人は歩を止め、愛についての議論をする。
第18歌〜怠惰
時刻は夜半である。色々な愛についての疑問と好奇心がダンテの心に芽生える。智の結晶とも言うべき師は丁寧に未熟なダンテに教えを諭す。
ああ何という有難さだろう!良い師に出会うということは!そのような人を知るということは!
腐った下衆どものはるか彼方の崇高な領域へ達した先達が、慈愛と守護をもって悩み苦しむ後世の人々を導くのだ。
疑問が解けてダンテがぼんやりしていると、一団の魂たちがバタバタ忙しそうにやって来た。生前の「怠惰」の罰としていまここで駆けずり回っているのだった。
夜煉獄は登れないはずだが、そうした事情で休みがないのかもしれない。一人の魂が次の煉獄圏への石段の方向を教えた。
そのうちダンテは夢想にとらわれて目をつむり、うつらうつらしながら夢を見た。
まとめ
「煉獄篇」は「地獄篇」に比較するとテンポがやや早い。その領域の区分けも地獄ほど複雑でない。
ダンテは「怒りの罪」を浄めた。怒りは際限がない。
仏教の創始者である仏陀もその教えの中で、怒りを断ち切ることが悟りへの道として不可欠だと語っている。
だがそれは簡単ではない。怒りは人の自然の感情である。神の感情でもある。
最後の審判の日に、神は怒りの七つの杯を地上にぶちまけて人類を滅ぼす、と黙示録にも記されているではないか?
ではこの矛盾とは一体何なのかという話になる。おそらく怒りのエネルギーを物質的なものから精神的な領域へと上昇させて、地獄へ封じ込めることだと考えられよう。
こうすることで殺人や暴力が防げるし、キリストともあろう方ですら無抵抗で磔になるのである。
怒りのパワーによってキリストは天の王となり、最後の審判で雲に乗って現れ人類に復讐するのである。