【清少納言枕草子】岩波文庫レビューシリーズ「第八段」大進生昌が家に、〜

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恐れ多くも最近ハマりつつある古典しかも超大御所『枕草子』をレビューする企画第一回目。

学者のみか多くの小説漫画などに取り沙汰され、今さら筆者などの出る幕では一切ないが、自らの嗜好には勝てず。無謀にも試みる。

(なお筆者は素人であるので解釈の間違いが多いと思うが責任はとりません!)

北の門

エピソードは三等官平生昌の家の北の門から清少納言が牛車で入るところからはじまる。すなわち生昌の家に中宮定子(藤原定子)さまがいらっしゃっているのである。この人に関する内容は膨大であり、ともかく24才でなくなった天皇の奥様とだけでも覚えておけば良い。エピソードはそのおよそ前年(西暦1000年頃)のことである。

清少納言は定子さまに仕えているわけであるが、作者に関する情報は定かではないとしても、この時両者ともに同年代の若い女性同士だったと思われる。従って第八段全編にみなぎる女の子同士のはしゃぎ合いみたいな雰囲気は、軽薄だと感じられるけれども、反対に若くして死んだ定子さまへの楽しかった思い出の敬虔な追憶ともとれるのである。

さて定子様は神輿で東門からお迎えしたのに対し、北の門は車が通れず”えんどう”という歩道が敷かれている。これは衣服の裾が汚れないようにしてあるが、最近降った雨で穴ぼこであり、かつ横付けに降りれると思っていた清少納言は髪型もまともに整えていなくて、周りの身分大小の男たちから見られるのも腹立たしい。

そのことを宮様に申し上げている折も折、間抜けな家の主人が硯を差し入れてくる。不平を伝えたところ生昌は屁理屈をこねて謝罪しない。これに対し清少納言は漢文の学者が知っている中国の故事を引き合いにしてやり込める。当時漢文は男のもの、仮名は女のものと決まっていた。生昌は度肝を抜かれたのか、恐る恐る引き下がる。

対の西廂

夜になり女性たち一行は対の西廂で休む。寝殿造は神殿の東西と北に対と呼ばれる家屋が接続されているのはご存知かと思う。さて彼女たちの寝ている室に通ずる北側の襖に鍵がかかってなかった。これを承知の家の主人生昌は、日中機転の効いた受け答えで驚かされた清少納言のことが忘れられず興奮していたのか、侵入を企てる。

しかし源氏物語のようにではない。間抜け丸出しで「そっちへ言ってもよろしいでしょうか」などと言う。清少納言は仲間を起こし、皆で嘲笑う。「見苦しいわよ。良いわけがないじゃない」

翌朝早くに宮様にそのことを申し上げ、ひとしきり笑う。「あまりからかってはダメよ」

わらはべ

岩波文庫にはわらはべの装束〜のくだりが含まれているが、現代訳がないため完全には私は内容を理解できていない。これは次の締めへの繋ぎ的エピソードかもしれない。すなわち、宮様といてちょっと暇なときに、懲りもせずまた生昌は「申し上げたいことがある」と言ってよこす。

宮様と清少納言は、もう十分笑い疲れているのだが、さらに「またなでふこといひて、わらわれんとならん」(またどんなことを言って笑われようと言うのかしら?)とおっしゃり、「いきてきけ」とお命じになる。二人の若々しいいたずらっけな笑顔が目に浮かぶ。とても1000年前のお話とは思えない。

清少納言はわざと出て行って話を聞く。戻ってくると宮様は興味津々、「さて、なにごとぞ」と待ち構える。これこれかくかく、生昌の兄が門の話を聞いて感心しておった、それだけのことだと言う。

周りの者がそんなことわざわざ伝えにくるほどのことではあるまいにと笑うも、宮様は、彼の尊敬する兄がお褒めになっていたのをお知らせすることで、清少納言も喜ぶと思ってきたのだろうと、慮っていらっしゃった、という中宮定子様への尊崇の念で物語は閉じる。

まとめ

徹底してこの段ばかりを論じたのは、読み始めに最初にぶつかる長文がこれだったために、今後のことも考慮して入念に味わっておこうという気持ちと、前述したように、若くして亡くなった定子様の尊い思い出を後世に遺したいという作者の愛が、時代を超えて肌に感じらるように思ったからである。

wikipediaによると、定子様はおん自らの希望で京都市東山区にある鳥辺野陵(とりべののみささぎ)に眠っていらっしゃるという。

*画像は”絶景かなドットコム”より掲載させていただきました

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