【仏説父母恩重難報経】『父母恩重経』覚書〜永平寺の読経音源と比較して見えてきたこと
正倉院に収められている「聖語蔵」。この中に『父母恩重経』も収蔵されていました。
通称と普及版について
『仏説父母恩重難報経』は中国での正式名称ですが、日本では通称『父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)』として親しまれています。読経用のテキストを探す際には「父母恩重経」と検索すれば十分でしょう。
ただし、ネットにもWikipediaにもあまり書かれていない重大な点があります。それは、このお経には日本語訳に大きな揺れがあるということです。多くの人がこのことを知らず、訳文の違いによって本来の意図が歪められている可能性もあるのです。
お経には「この経を唱えれば五逆罪が許され、父母の大恩に報いることができる」とありますが、もしその意味を取り違えたまま唱えていたとしたら──。
内容と本記事の主眼
『父母恩重経』の現代語訳や内容解説は多くのサイトで紹介されているため、ここでは繰り返しません。タイトルの意味は「父母の重い恩は報いることが難しいという教え」そのものです。
この記事が注目したいのは、永平寺の日課読誦CD(現在はApple Musicなどでも聴けます)に収録された『父母恩重経』と、一般的に流通している経本との違いです。
読経の違い:訓読と翻訳の幅
永平寺の音源では、たしかに漢文の訓読形式に沿っていますが、一般に流通しているテキストとは文言が一致しません。むしろ、現代で流布している版は、かなり自由にアレンジされた訓読であることがわかります。
これは、漢文を誰が訳すかによって、文の構成や言い回しが大きく変わってくるためです。結果として、全体の筋はほぼ共通していても、細部にはかなりの違いが存在します。
儒教との融合と道徳観
『父母恩重経』を読んでいて感じたのは、インド発祥の仏教が中国で儒教倫理と融合していく過程です。
たとえば、儒教の五常──仁・義・礼・智・信──が、仏教の礼拝行と結びついています。出家して財物を持たぬ僧侶にとって、物質的に親に報いることはできません。だからこそ、三宝への礼拝を通じて精神的に恩に報いるという構図が生まれたのです。
訓読の異動例
例えば母乳の量についての表現に大きな違いがあります。一般流通版では「乳を百八十石飲ませた」とありますが、江戸時代の写本では「八石四斗」。現実的に考えても、前者は誇張されすぎており、物語的表現と考えられます。
また、浄瑠璃や歌舞伎を思わせる情緒的な追加表現もあり、時代や用途に応じて多様な演出が加えられてきたことがわかります。
経本の入手について
筆者はオークションで古い経折本を入手しました。背表紙に戒名や和歌が書かれており、いかにも誰かの供養に使われた品。800円(クーポンがなければ1300円)でしたが、貴重な資料でした。
この経本の解読を進めるうちに、永平寺の読経に出てくる言葉と微妙に異なる箇所がいくつもあり、「訳は一つではない」ことを改めて実感しました。
まとめ:母の恩に立ち返る
永平寺版の『父母恩重経』では、十の恩のほとんどが「母」の恩として語られています。一般的な現代語訳では「父母」とまとめてしまいがちですが、古い訓読では「母」が前面に出てくることが強調されています。
母への恩にどう報いるか──この経を通じて、日本人本来の「親への感謝」の心を再確認することができるのではないでしょうか。
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