【ピノキオ√964】〜サイバーパンク×ゲロ×ノイズ映画の思い出
1991年、中野武蔵野ホールで公開された福居ショウジン監督の『ピノキオ√964』。Wikipediaでは「ホラー映画」と分類されているが、実際にはノイズと映像が一体となった爆音MVのような作品だ。音を“浴びる”ように楽しむタイプの映画である。
例えるなら、あの『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を爆音上映で観るような体験に近い。
劇場と監督の言葉
福居ショウジン監督は、もともとノイズバンド「ホネ」のメンバー。初公開時、舞台挨拶で「この作品は音の映画なんです」と語っていたのを覚えている。
上映された中野武蔵野ホールは、前衛的なインディー作品を積極的に取り上げていた名館だった。残念ながら2004年に閉館してしまったが、あの劇場の雰囲気は忘れがたい。
スタッフ応募のきっかけ
前作『ゲロリスト』に衝撃を受けた私は、劇場で配られていた『ピノキオ√964』制作スタッフ募集のチラシを手に取った。当時はバブル絶頂。浮かれた“トレンディドラマ”全盛の時代に、ゲロとノイズで世界にぶつかっていくような作品に心を掴まれた。
私はホネ工房に連絡し、スタッフに応募した。
ホネ工房と監督との対話
事務所には音楽担当の男性、家出中らしき居候の青年、そして監督本人がいた。
私が『ゲロリスト』を観たと言うと、「俺はゲロにはこだわってるんだ」と嬉しそうに語ってくれた。新宿での“ゲリラ撮影”について、監督がそう呼んでいたその現場の話を聞かせてくれた。ルールよりも情熱が勝る瞬間を、私は言葉越しに感じた。
監督は私に「どんな映画が好き?」と尋ねた。私は「『マッドマックス』が好きです」と答えた。「2と1、どっちが好き?」と訊かれ、「1の方が好きだけど、面白いのは2ですね」と返した。それが監督と交わした会話のすべてだった。
音楽担当の方とは、アメリカのノイズ・バンドSWANSの話をした。特に初期のアルバム『Filth』(1983年)の重厚で不協和なサウンドや、マイケル・ジラの咆哮について語ったのを覚えている。
出演者には、当時ライブでかなり過激なパフォーマンスをしていたRANKOさん(コンチネンタル・キッズ)もいた。家出中の青年が「RANKOさん、本当に良い人なんだ」と言っていたのが印象に残っている。
録音スタジオでの体験
私の役目はお茶汲みや弁当の受け取り程度だった。映画の撮影はすでに終わっていて、音声収録だけが残っていた。私は新聞配達のバイト後に現場へ行っていたが、寝坊して遅刻することもあった。
ピノキオ役の鈴木はぢさん、ヒミコ役のONN-CHANNさんも録音に来ていた。監督は「あいつは声がとても良いんだ」と、はぢさんを静かに評していた。
私は緊張で手を震わせながら俳優さんにお茶を出した。ヒミコ役の彼女は私の革ジャンを「寒いから貸して」と言い、録音中ずっと肩にかけていた。帰り際、私がつけていた曲がったスプーンのペンダントを見て「かっこいいね」と言ってくれた。
そして、バックレた
新聞屋をクビになり、住み込み先を出ることになった私は日雇いの仕事を始めたが、生活が安定せず、ホネ工房の活動を続ける余裕がなくなった。
電話の留守電に「仕事をクビになったので辞めます。いま工事現場で働いています」と吹き込み、それきりになってしまった。
エンドロールの名に胸が熱くなる
数ヶ月後、劇場公開された『ピノキオ√964』を観に行った。舞台挨拶と上映を終えた監督とスタッフが、帰っていく客ひとりひとりに礼をしていた。私も礼をされたが、何も言えずにそのまま出た。
エンドロールの最後の方、小さく自分の名前があった。2~3回顔を出しただけで、お茶汲みと弁当を取っただけの、しかも途中でバックれた私の名前が。
胸が少し、熱くなった。
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