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【ウンコ論】うんこが我慢したいときに読んでほしいエッセー

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 何度目のウンコ

きょうこのテーマの記事を選んだのは、最近死を意識しつつありかつ、毎日(主に朝)用を足すたびにこう考えるからだ。「これで人生ウンコするのは何度目だろう」と。

ちょっと血気盛んな頃は「これで人生オナニーするのは何回目だろうか。1万回以上やっただろうか」などと思ったりすることもあったが、今はそんな気力もない。だがウンコは「食べる」ことに相対する生理現象として続く。

ウンコ原理

小学校でウンコする簡単な原理とか成分やなんかは学習した。つまり口からは食物を摂り入れるのに対し、ケツからはウンコを排泄する、というわけだ。キリストも聖書で「口から入ってくるものは良いものである」と教えている。古代エジプトでは死者の開口の儀式や呪文もあるくらいだ。

さてケツから出てくるウンコは有害である。私はスカトロ・プレイヤーではないから、ウンコは基本的に食べない。過激なエロティシズム文学では平気で糞料理を食ったりもする。マンディアルグの名作「イギリス人」でも糞料理を食う場面がある。

◯関連記事→【城の中のイギリス人】マンディアルグのエロティシズム小説

有害物質

ウンコには大腸菌やノロ・ウィルスなどがいるから間違っても口に入れないようにしているし、アナル・セックスなども怖くてできず小説の中でだけの楽しみだと思っている。外国人は普通の恋人同士でもするみたいだが偏見だろうか。

この記事はグーグルの規約に違反すると私は思わない。タバコや酒、エロやドラッグや犯罪とは関係ないからである。純粋なウンコ論だから。

我慢すること

人生を振り返り、今までで一番ウンコを我慢するのが辛かった場面がいくつかある。私は胃腸が弱い。満員電車で通勤中、高速道路や一般道の渋滞で運転中、などなど、ウンコしたくてもできないけれどもしたい時がある。その不条理さ。なぜ今、これほどウンコしたくなるのか?と神を呪ったことがある人は多いと思う。あるいはどうか便器がある場所まで耐えさせてくれと、神にどれほどの人々が祈ったことか。

恥、体裁のない非文明社会では無意味な苦しみだと言える。最悪野糞という方法もある。それだって用を足した後ケツを拭くものが必要だ。でないと綺麗なパンツを汚してしまうことに変わりはない。ちり紙がないならば布切れがあればなんとかしのげる。

私は20代の頃、天皇皇族墓地の消毒バイト中に糞したくなったことがある。便所はあったが紙がなく、使っていた軍手で拭いたのが忘れられない。あれはウンコ人生の中でもとびきりのサバイバル体験だった。

それもこれもパンツの中にウンコを漏らしたくないからなのだ。人としての尊厳がそうさせるのだ。

忘れらないウンコ

あと生まれてきて食べ物を与えられ、ウンコする権利を得てからもっとも記憶に残るウンコがある。19歳の時に他人の車のボンネットの上でウンコした。

都会の夜だった。それは我慢できなかったからではない。何か人生で忘れられない思い出をひとつ作りたくてやったのだ。

ちゃんとコンビニでボックス・ティッシューを買って、友達の前でボンネットに上がると意外に自然に健康的な排泄ができた。ケツをふき便所でするように糞の付いた紙を車の上に捨てた。翌日持ち主は心臓が止まるものを見たのに違いない。

ちなみに車は軽自動車だったと思う。高級外車でやればよかった。

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