概要
空海、弘法大師のよく耳にする有名な本『性霊集』は、性的な内容の本でもなければ、西洋のインクュバス・スクブスといった淫夢精霊の類を論じた本でもない。正式の題名は「遍照発揮性霊集」で、弟子が一生懸命集めた空海の詩文散文集である。
題名だとたくさんの鬼神について分類・論じた本かと思ってしまうが、違うのだ。
原文はすべて平安時代初期の漢文で書かれていて、菅原道真の文章のように、あるいはさらに難解である。岩波書店の古書は安く手に入るがページが見ずらく、筆者は上段の蟻のように小さなびっしりと埋められた注釈もすべて読んだため(さすがに補注まではあまり目を通さなかったが)、この読書で視力がガクンと落ちた。
そもそも漢字とはこんな小さな印刷で読むものではなく、空海のような書道家が味のある紙にビシバシと墨と筆で描く、そういうものなのだ。
散文の内容は密教教義から普通の漢詩や書道論について触れたものや天皇へ宛てて書かれたものなど数多く多肢に渡り、視力を失っただけの値はあろう。
目玉
目玉は金剛界・胎蔵界曼荼羅についての教えや中国で恵果阿闍梨から伝授を受けたこと、たくさんの経や宝具仏像を持ち帰ったこと、教王護国寺の五重の塔を立てるために大木を曳く必要を訴える文章、などなどたくさんある。
漢文の熟語は見ただけでは意味不明な平安時代独特の言い回しであるので、しかもその右脇には点のように平仮名が振ってある。このような紙面を読むのに発狂しそうにならないわけがない。
『性霊集』は密教を大師から直々に学べるし、詩としての格式も高すぎるほど高く、当時の歴史的背景の勉強にもなり、どのようにして密教が国に広まり寺が建っていったか、天皇と空海がどのような間柄だったかなど、数多くのことが含まれているお宝だと言えよう。
おまけ
以上で書籍レビューを終わる。ノルマの1000文字まで余裕がるのでおまけを。
大日如来は”ヴァイローチャナ”の意味であり、弥勒は”マイトレーヤ”の意味で、金剛は”ヴァジュラ”の意味である。チベット密教の本なんかだとカタカナで書かれていて、英語を日本人が輸入してカタカナで書き表すように、音写であることは一瞬でわかる。
しかし中国経由のヴァイローチャナは中国で音写される。つまり毘盧舎那である。さらに日本人がこれを棒読みするので「びるしゃな」となり、光明真言などでは「べいろしゃのう」などと呼ばれるが、どれも同一の名である。
奈良の大仏は華厳経の毘盧舎那仏である。修学旅行で私は東北から奈良に行ったが、大仏を見てこれが「毘盧舎那仏だ」と教えてくれた先生も友達もいなかった。そして毘盧舎那は大日如来でありチベット仏教の”ヴァイローチャナ”だ教えてくれた人は、誰もいなかった。参考記事⬇️