【異質的なもの】廃れた神々と、私たちの忘却──科学時代を超えて

哲学

【異質的なもの】廃れた神々と、私たちの忘却

形容詞──脳髄への注射

この世には注射針を使う薬や、飲み下す薬があるが、最も劇的なものは目と耳から入る薬だ。なぜなら、それらは直接、脳に作用するからである。

「神」や「神々」という単語も、とうの昔に役目を終えた言葉だ。ニーチェを持ち出すまでもなく、それらの語は娼婦のように弄ばれ、擦り切れてしまった。

それでもなお、この記事ではあえて使おう。私たちは科学と知識の発展により、ルネサンス時代まで畏れられていた「神」や「悪魔」を否定した。そして宇宙には、人間しかいないと考えるようになった──映画の話は別だが。あれらは狂気の産物でしかない。

距離──異質的な存在

かつて蒼古の人々が信じた「神」や「神々」とは、人間とは異質な存在であった。

不死の肉体、絶対的な支配力、比類なき美、計り知れぬ叡智。これらは人間の及ばぬものであり、地上の人間と、夜空の星々との隔たりにも似た差異を持っていた。

ギリシャ神話のオリンポスの神々、チベット仏教の曼荼羅に描かれる慈悲神・忿怒神、そしてキリスト教の天使たち──それらは、すべて異質的なものの表現だった。

チベット曼荼羅の忿怒神群

チベット仏教の曼荼羅・忿怒神群

諸有──彼らの到来

この異質的なものたちが、ついに私たちの世界へやって来る。

忘れてはならない。映画ではない。彼らは人間のように考えず、行動せず、言葉も通じない。人間の理屈に耳を貸すこともない。

彼らは彼ら自身の叡智と法に従って動く。正義と理法が創り出した、遥かなる太古の種族──それが、私たちが一度否定し、失った神々である。

探査機を宇宙に飛ばしても、研究を重ねても、彼らの存在は見つからなかった。なぜなら、彼らは敬虔な心の持ち主にのみ、自らを顕すからだ。

迷妄──麻痺する人間たち

ヘシオドスは言った。「夜空に向かって小便をしてはならない」と。子供のころに聞いた地獄の物語──閻魔大王や鬼たちの話も、無知な子らへの戒めであった。

人間以上の存在は、単なる空想とされた。人間は、世界と宇宙の帝王を気取った。

しかし今、私たちは向かい合わされる。私たちが「存在しない」と断言した異質なものに。

だが、すでに強烈なモルヒネが脳髄に深く吸収されている。いくら叩き起こされても、人々は目を覚まそうとしない。それほど、この幻想は強力だったのだ。

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