マルクス・アウレーリウス【自省録】〜自分自身に問いかける哲人皇帝の言葉
気高きローマ皇帝
ローマ帝国第16代皇帝マルクス・アウレーリウス(在位161〜180年)は、強大な権力を握りながらも、暴君とはほど遠い生き方を選んだ。戦争と政務に忙殺されながらも、彼は自らの魂と向き合う時間を確保し、ストア哲学の結実ともいえる書『自省録』を後世に残した。
「やろうと思えば何だってできる」その地位にありながら、彼は欲望に溺れず、理性と教養によって自己を律した。現代の我々にとっても、その姿勢は驚嘆に値する。
原題は「自分自身へ」
この書の原題は〈Ta Eis Heauton〉──「自分自身へ」。そのタイトルがすでに深い哲学を含んでいる。
現代社会に生きる我々も、義務・仕事・人間関係に追われて、自分が誰なのかを忘れがちになる。「自分自身へ」とは、自らの心と静かに対話し、内面へ立ち返ることを促す呼びかけだ。
本書は単なる反省文や道徳教育の教科書ではない。剣と血が支配する古代ローマで、孤高の哲学者皇帝が遺した内なる言葉の記録である。
もし「もう生きていたくない」と思う日があるなら、命の電話にかける前に『自省録』を1日読んでほしい。読んだ後でも死にたいなら、それはそれで構わない。だが、読めばきっと「自分はまだやれる」と感じるだろう。
悪行とダイモーンのメカニズム
本書にはもう一つの読み方がある。それは「自分自身」とは何かを再定義することだ。
現代のオカルトやスピリチュアル系の教義では、負の感情や思考を「低級霊」「因縁」「悪魔」などと呼ぶことがあるが、実際には自己制御に失敗した理性の隙をついて、内なる“ダイモーン”が支配を始めるにすぎない。
グァッツォの『悪行要論』を読まなくても、人間の心に潜む悪意や歪みは確かに存在しており、それとどう付き合うかは、まさに『自省録』の主題と重なる。
映画「グラディエーター」と皇帝の死
映画『グラディエーター』(2000年)では、マルクス・アウレーリウスは息子コンモドゥスに暗殺される設定になっているが、実際の死因は病死とされている。享年58歳。彼は哲学者としても皇帝としても、いまだに歴史に名を残す存在だ。
『自省録』は、長大な著作ではない。一文一文が短く、格言的な構成をしており、現代人にも適した“隙間時間読書”が可能だ。多忙な現代の私たちにとっても、心のデトックスとして非常に有効な一冊である。
暴君と哲人、その分かれ目
同じく皇帝の座にありながら、ネロ、カリギュラ、コンモドゥスといった暴君たちも存在した。彼らとマルクス・アウレーリウスとの差は何だったのか?
おそらくは「教養」と「良き師の存在」である。哲学と理性を持つ者は、絶対権力をもってしても、堕落せずに済むのだ。
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