【三島由紀夫】『音楽』解説|“音楽が聞こえない”女性の症例と戦後の闇

小説

【三島由紀夫】『音楽』解説|“音楽が聞こえない女”と戦後の闇をめぐる精神分析小説

またしても、圧倒的な一冊に出会ってしまった。読後の昨夜から、眩暈・吐き気・耳鳴りが続いているのは偶然か? 三島由紀夫という作家の力に、ただただ圧倒されるばかりだ。

◆ 物語の形式:ある症例報告として

『音楽』は一見、東京に暮らす精神分析医・汐見の手記として構成された、ある種の“臨床記録”である。主題となるのは、麗子という若い女性の性的不能――つまり「セックスで快感を得られない」という訴えだ。

現代の視点からすれば、性的不能は「多様性のひとつ」と受け止められることもある。しかし、性が個人のアイデンティティの根幹と結びつけられていた時代においては、深刻な“生の不具”とみなされた。特にフロイト以降の精神分析において、性は人間の本質的問題とされてきた。

◆ 音楽とは何か:エクスタシーの喩え

物語の冒頭で麗子はこう訴える――「私、音楽が聞こえないんです」。この“音楽”とは、性行為における絶頂、すなわちオルガスムスの隠喩である。

一方で、彼女の感覚は「音楽の終わったあとのレコードの無音状態」に譬えられる。これは音楽=快楽の喪失状態であり、彼女が感じる“空虚さ”を象徴する。

◆ レコードというメタファー

レコードプレイヤーを知る世代なら、この比喩の重みを体感できるだろう。回転するターンテーブルにそっとレコードを置き、針を落とす。あの「ブツッ」という音のあとに始まるアナログの温かいサウンド。そして音楽が終わったあとの、延々と繰り返される内周の無音と雑音――。

この比喩を通して三島は、麗子の内的世界に“空虚と機械的回転”という心理状態を重ねている。これは単なる文学的技巧ではない。彼女の魂そのものの描写だ。

◆ 冷徹な観察者・汐見

治療の過程で、汐見はあくまで冷静かつ論理的に麗子の症例を観察し続ける。彼自身が感情を揺さぶられることはほとんどない。まるで『羊たちの沈黙』のレクター博士のような冷徹ささえ感じさせる。

しかし、三島が真に描き出すのは、患者と治療者のあいだに漂う“感情の空白”であり、個としての絶対的孤独である。治療の過程とその結果については、ぜひ作品を読んで確かめてほしい。

◆ 戦後の都市という舞台

『音楽』の舞台は戦後まもない東京の裏路地。グーグルマップも監視カメラもない時代、街の角を曲がったその先に何があるかは、誰にもわからない。現代では農村にしか存在しないような“闇”が、まだ東京の真ん中に息づいていた。

麗子という女性の内面の“空洞”と、都市そのものの“空虚さ”が重なり合い、本作には独特の不安と美が漂っている。

◆ まとめ:聞こえない音楽と戦後の残響

『音楽』は性愛を主題にしながらも、それを超えて“人間の存在そのもの”に迫る異色作である。音楽とは何か? 性とは何か? 生きるとは何か? それらの問いが、冷たい分析の筆致によって逆説的に熱を帯びてくる。

三島由紀夫という作家の非凡さを、あらためて思い知らされる一作である。

コメント

  1. 加代子 より:

    コメント失礼します。
    文章もさることながらタイトル画像が美しすぎるのですが、これは映画のシーンですか?

    • taka より:

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