【マンディアルグ】短編集『みだらな扉』より「ネズミッ子」レビュー

品田一良訳『みだらな扉』は、原題を直訳すれば「放埓な扉」。いかにもマンディアルグらしい官能と不穏を感じさせるタイトルだ。本稿ではその中でも特異な一篇「ネズミッ子」を取り上げる。

あらすじ

ヴェニスの場末に彷徨いこんだ一組のカップルは、屋台風の美味しそうな揚げ物屋で食事を取ろうと決める。下賎な一角に豪奢な雰囲気を持ち込んだことに満足し、うっとりするような美女にワインをついであげていざ飲もうとした瞬間、奇怪な男が店に現れた。

彼は店の主人からも他の客からも突き放されながら、何とか手に入れた魚の包みを大事に抱えながら二人の席の方へやってきた。と突然、彼女が「こっちへいらっしゃいよ」と声をかけたのだった。

男は「畜生！」を連発しながら、自らが“ネズミッ子”と呼ばれるようになった経緯を語り出す。

戦時中、彼はパルチザンに捕らえられ、他の7人の捕虜と共に八角形の城に幽閉される。彼らは八角形の広間に設けられた箱の上にそれぞれ立たされ、ネズミによるロシアン・ルーレットが始まる。

真ん中に放たれたネズミが入った箱の上にいた者だけが生き残る。彼の箱にネズミが入り、他の7人は処刑された。そして彼の胸には“ネズミの印”が刻まれ、「ネズミッ子」として生きてゆくことになる。

以後、男はネズミのようにおどおどと生きる。「図に外れて生きたるは、腰抜けなり。図に外れて死にたるは、犬死に気違いなり」という『葉隠』の言葉を思い出さずにはいられない。

また三島由紀夫『豊饒の海』最終巻に登場する、猫に「俺は猫だ」と主張し続けるネズミの寓話にも重なる。自らを否定されたネズミは洗剤の中に飛び込み自死し、猫は食べ損ねた獲物に興味を失う。

マンディアルグのドキュメンタリーを見た直後だったこともあり、私は“ネズミッ子”に自分を重ねていた。世間を恐れ、運命を他力に委ね、臆病に生き延びる自分。

高貴なカップルの横にうっかり近づいてしまった、ささやかな抵抗と生への執着。それを“畜生！”と罵ることでしか表現できない哀しみ。

幾何学のような一直線ではなく、ネズミのようにジグザグに歩んでしまう我々。それでも生き延びることに、知恵と選択があるとマンディアルグは語る。