三島由紀夫『金閣寺』レビュー|美と破壊の衝動を描く文学の到達点

小説

三島由紀夫『金閣寺』レビュー|美に呪われた男と“究極の破壊”

三島由紀夫の代表作とも称される『金閣寺』。あまりに評価が高いために、今さら読むのも気が引けていたのだが、中年にして初めて手に取った。そして思った。「これはただものじゃない」と。

あらすじ

吃音を抱える青年が主人公。幼い頃から父の語りによって、まだ見ぬ「金閣寺」の美に取り憑かれていた彼は、やがて僧となり実際にその金閣寺に関わるようになる。しかし彼の心の中で、美は次第に呪いへと変わり、ついには金閣寺を焼き払うという破壊の衝動へと至ってしまう——。

冒頭から狂気の匂い

作中には、一見本筋とは無関係な“脱線”が随所にある。たとえば、近所の女性につきまとうシーン。自転車での通学路を待ち伏せし、ただ見つめるだけ。会話すらできず笑われ、家族にも叱られる。

また、神社で兵士に母乳を飲ませる女性を見かける場面。これは彼の記憶に観念として残り、後に再会する。現実とも幻想ともつかぬ形で彼の精神に影を落としていく。

毒のように染みる哲学

大学進学後、彼は足の悪い青年と親しくなる。彼は60歳を過ぎた女性と初体験した話を得意げに語るような人物で、反社会的で過激な芸術論や哲学を吹き込んでくる。これはもはや三島自身の思想の分身のようでもある。

美に対する憎しみへ

坊主として金閣寺に身を置きながらも、主人公は堕落していく。勤めを怠り、学業にも身が入らない。その堕落の原因は明示されない。ただひたすら内面に沈み込み、彼の精神は静かに、確実に破滅へ向かっていく。

語りがもたらす酩酊

やがて彼は「金閣寺を燃やす」ことを真剣に思案するようになる。狂気と破滅に向かっていく心理描写は、まるで悪魔的な文体で綴られる。難解な仏教用語や建築語彙が散りばめられ、読む者の知的好奇心を刺激する。三島の知識の深さには舌を巻く。

一文ごとに価値がある

私は読みながら、三島の文章は一行百円以上の価値があると感じた。ありきたりなWeb記事とは違い、どこを取っても強度がある。軽薄な現代の言葉が陳腐に思えてくる。

読後、中年にしてハマる

後半はページをめくる手が止まらなかった。先が読めない、何が起こるか分からない、その小さな驚きの連続がクセになる。読み終えた後、図書館で三島の他作品を3冊も借りてしまった。

なぜ切腹したのか

読みながら、私はマンディアルグのことを思い出す。フランスのこの作家は、晩年に三島作品に熱狂したという。まるで知の冒険の果てに見つけた、最後の美味とも言える稀有な文学。

だが、その三島は1970年、自衛隊駐屯地で実際に切腹した。介錯が3度も刀をはじかれるほどの凄絶な最後だった。

三島は、誰も殺さなかった

彼の作品は凶暴だ。だが、彼は誰も殺していない。たった一人、自分を除いては。美に呪われた作家の、呪われた小説。それが『金閣寺』なのだと思う。


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●三島由紀夫まとめ記事はこちら→ 【三島由紀夫】作品レビューまとめ・2018年最新版

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