思ひ出
東京高円寺北にかつて住んでいた頃、「ルバイヤート」という喫茶店に数度入ったことがある。どことなくノスタルジックな看板と階段入り口;するすると引き込まれるように店に行くと”ジミ・ヘンドリックスにイかれている”というマスターが接客してくれたものだ。
バンド仲間と何回か、あと交際(?)していた女子高生と1、2回はお茶を飲みに行ったと思う。店内はエキゾチックでBGMは覚えてないが、"Houka"と呼ばれる東洋の吸引器(所謂大きい煙管のようなもの)などが飾ってあった。60年代風のサイケデリックなポスターも多く貼られていたような気がする。
その女子高生には指一本触れなかった;バブル時代には”部屋に3度来たならセックスしても良い”という伝説があり、3度目の約束をすっぽかされてそれまでの関係だった。お父さんがタクシーの運転手だと言っていたその子は、今思えば大人には途轍もない美女になったことだろう。
田舎に帰る直前にマスターにそのことを伝えると、「また来ればいいじゃん」と言われた。これは筆者の第一の帰郷の時で、1995年の出来事である。以来お店には行っていない。GoogleMapで見ると看板だけは残っているようだが。。。
フィッツジェラルド
なぜ最初に上のような話をしたか。筆者が岩波文庫の「ルバイヤート」という小さな本を手に取ったのは、このお店の名前が記憶に残っていたからだ。そして詩集の内容はまさに”諸行無常”な切ない内容で、本がいかにも私の過ぎ去った寂しい思い出と符合していたからである。
解説によると、イギリスのフィッツジェラルドが最初原典からの英訳本を自費出版した時、あまりに売れず古本屋の叩き売りに出された。そこにロセッティが叩き売りの本を見つけてスウィンバーンに教えた。スウィンバーンは直ちに書物の価値を認め、買い占めようとしたら、古本屋が値段を釣り上げていたので二人は激怒したという。
この二人の詩人は個人的にはあまり馴染みはないのだが、マンディアルグの『イギリス人』の序文およびエピグラフにその名が載っていてよく覚えていた。彼らが惚れ込んだ「ルバイヤート」を改めて読み返してみると、やはりさもありなん、の中味だった。読んだその印象は若い時も今も変わりなかった。
まとめ
ペルシャはかつて偉大な国であった。現在イランと聞いても恐いという印象しか与えないが。同じく神の子が生まれたイスラエルなど今誰が行きたいと思うだろうか?
オマル・ハイヤームは偉い学者だったという。ペルシャには拝火教と呼ばれるゾロアスター教はもちろん仏教も普及したらしい。本書は仏教の影響が強い。
この詩集はソロモンの伝道の書の”空の空”の教えにも通じる”諸行無常”の考えが詰まっている。学問に疲れたかのような詩人が、晩年にもうどうでもよくなって一種の悟りに達して、毎夜毎夜、酒姫(サーキィ)と酒を酌み交わす、それだけの詩である。
酒姫(サーキィ)と言えども当時は少年がその役目を果たしていたという。各四行詩は外国語訳底本に習い、独自に章分けされている。「万物流転」「解き得ぬ謎」「無常の車」「むなしさよ」「一瞬を生かせ」「ままよ、どうあろうと」これらのタイトルから窺い知れるように、19世紀末デカダンスに相通ずる極めて味わい深い書。