マンディアルグ『汚れた歳月』とは?
第二次世界大戦中に発表された『汚れた歳月』は、マンディアルグの処女作として知られる散文集です。形式的には詩と短編小説のあいだに位置し、後の短編集『黒い美術館』へとつながる中間的な作品といえるでしょう。
収録作には長めのテキストも多く、詩というには長すぎ、散文というには幻想的すぎる独自の文体が特徴です。かなり難解で重厚なフランス語を楽しむことができ、原文で読む際には読者には相応の覚悟が求められます。
「カルモー炭坑」あらすじ
本書の最後を飾る一編「カルモー炭坑」は、個人的にもっとも印象に残った作品です。舞台はフランス南部タルヌ県、石炭採掘で知られるカルモー。主人公はタルヌ川沿いを歩いている途中、鉄骨材で粗雑に組まれたダンスホールを見つけます。
潜水艦の梯子のような階段を上って中に入ると、見知らぬ男が話しかけてきます。彼はずっとひそかに尾行していたのでした。主人公を炭坑組合に引き入れようとしており、その説得の一環として鉱山内部の不思議な話を語り始めるのです。
鉱山の奥に住む“生き物”
男の語る炭坑には、まるで迷宮のような坑道が広がっています。そこには時おり若い娘がランプを灯しに降りてくるのですが、誘惑に打ち勝った一部の“見者”だけが、さらに奥へと進むことが許されるといいます。
その最奥部には、ネズミを主食とする謎の“生き物”が住んでおり、見者たちはその糞を掃除し、餌を与えることで、彼女(あるいは彼)の踊りを見せてもらえるのです。その踊りは、アルジェリアの伝統的な踊り子「Ouled Naïl」にたとえられています。
“生き物”の踊りは1時間以上も続き、観客である組合員は黒い岩に腰掛け、手を打ち続けて歓迎します。手のひらから血がにじむほどの熱狂ぶりで。地下で繰り広げられるエキゾチックな祭りとでも言いましょうか。
謎の生き物がどんな動きを見せたか。→参考動画:Tribute to Ouled Nail Dancers
妖しい音楽と踊りの雰囲気は、パブリック・イメージ・リミテッドのアルバム「Flowers of Romance」にも通じるものがあります。
“生き物”の正体とマルクスの耳
なんと、その“生き物”の正体は巨大な〈耳〉です。テニスラケットほどの耳が茎の先につき、足代わりの吸盤で坑道を移動する――という奇怪な姿。
この耳は、新約聖書に登場するローマ兵士「マルクス」の耳であるという伝説が語られます。かつて弟子ペテロに切られ、主イエスによって癒されたその耳は、大地に吸い込まれ、地下で踊り続けているのだと。
「汝の剣を鞘に納めよ。剣で殺す者は、剣で滅びる」
この物語に共鳴した“見者”たちは、自らを冗談まじりに「マルクス派」と名乗ります。
感想とまとめ
見知らぬ男の語りは終わり、主人公は彼に従う決意をします。ダンスホールにはもう誰もいません。女への関心も薄れ、ただその不思議な力に取り憑かれたまま物語は幕を閉じます。
この作品の構成や読後感は、コールリッジの『老水夫行』にも通じる“語りの魔術”を感じさせます。初期マンディアルグ作品の中でも、とくに強烈な一編といえるでしょう。
関連リンク
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