【マンディアルグ】「子羊の血」〜短編集”黒い美術館”より紹介(1)
フランスの作家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグによる短編集『黒い美術館』から、「子羊の血」を紹介します。
◆ 前置き
“子羊”と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは新約聖書に登場するイエス・キリストではないでしょうか。私のような日本人でさえそうなのですから、キリスト教が生活に深く根付いた西洋では、なおさら強く結びついているはずです。キリストはしばしば「屠殺された子羊」、血塗れの衣を纏った「人の子」として、ヨハネの黙示録にも登場します。
マンディアルグの短編には、このような宗教的・象徴的イメージが繰り返し現れます。たとえば「ロドギューヌ」(短編集『熾火』所収)などもその一例でしょう。
◆ 概要
『黒い美術館』の全訳は現在も刊行されておらず、日本語版で読めるのはわずか3編ほど。その中に、この「子羊の血」も含まれています。初期の作品にありがちな難解さは比較的抑えられており、ストーリーも明快で、初めて読む方にも入りやすい内容です。
スウィンバーンによる詩の引用──“黒い亜麻布を着た夜が昼の白い子鹿を追う、夢よりも素早く逃げる眠りの白い足を”──から始まるこの作品は、代表作「生首」に通じるような緊張感と不穏さに満ち、サスペンスとしても読み応えがあります。
この短編は、シュルレアリスムの画家レオノール・フィニに捧げられており、彼女の絵を思わせるような視覚的なイメージに溢れています。とはいえ、筋書き自体は意外とシンプルです。
◆ 少女
主人公は14歳の少女、マルスリーヌ・カイン。港町の山の斜面にある“山小屋”で、両親と若い女中とともに暮らしています。彼女には生まれたばかりの弟がいましたが、病気で亡くなってしまいました。両親は弟ばかりを可愛がっていたようで、マルスリーヌに対してはどこか距離がある態度でした。女中とも馬が合わず、彼女は一種の孤独の中にいました。
そんなマルスリーヌが深く愛していたのは、一匹の大きなうさぎでした。
◆ うさぎ
うさぎは杭で高く設えられた小屋で飼われており、普段はそこに閉じ込められています。マルスリーヌは時々そのうさぎを抱きかかえて岩場の高台まで運び、そこで一緒に遊ぶのが日課でした。カラフルな毛並みを持つそのうさぎは、草原を駆けると花束のように見えることから「スーシー(Souci)」と名づけられていました。
少女はうさぎ小屋に頭と腕を突っ込んでスーシーを抱き、走りながら後ろ足が自分の胸を打つのを感じます。そして服を脱ぎ、素肌にうさぎをのせて、前歯にキスをしながらささやくのです──「スーシー、愛してるわ」。
◆ 夕飯
ある日、マルスリーヌの子どもじみた服装に業を煮やした両親が、街に服を買いに連れ出します。母親の退屈な買い物に付き合わされながら、少女の心は一刻も早くうさぎに会いたい一心でした。ようやく日が暮れる頃、家に帰り着いたマルスリーヌは急いでうさぎ小屋へ向かいます。
しかし、スーシーの姿はどこにもありません。驚いて食堂に駆け戻ると、両親は「暑かったから岩場の籠に移したのよ。先にご飯を食べなさい」と告げます。食卓には“子羊のシチュー”が並んでいました。
◆ 陰謀
どこか張り詰めた空気が食卓を包み、マルスリーヌだけがその意味を理解していない様子。両親と女中は、くすくすと嘲るような笑いを浮かべます。
やがて父親が口を開きます。「お前もそろそろ大人になる時だ。いつまでもうさぎとばかり遊んでいてはいけない。だから、もう会わせないことにした」と。
そう──子羊のシチューの肉は、スーシーだったのです。
マルスリーヌは叫ぶことも泣くこともなく、黙って食事を終え、席を立ちます。あまりに無反応な態度に両親は困惑し、「この子には愛情が足りない」と口にします。
*続きはこちら →【マンディアルグ】「子羊の血」〜短編集”黒い美術館”より紹介(2)
●あわせて読みたい→【ユリイカ】マンディアルグ特集号(1992年9月)古書レビュー
コメント