煉獄の島へ
ダンテは尊敬する古代ローマの詩人、ヴェルギリウスの案内で地獄巡りを無事終えた。峻厳苛烈な道のりは乗り越えたのだ。
しかしここからは罪を浄めるための戦いが始まる。「悪」一色だった世界に「善」の光がさしてくるが、愛は死よりも強しという言葉のごとくある意味善は悪よりも恐ろしいのである。
それは弱い魂や霊魂にとり、悪魔の憎悪よりも天使の圧倒的な光の方が耐え難いかの如し。であるから本当の安息は天国界までは得られない。
師匠のヴェルギリウスの案内も、煉獄の山の頂上までである。ダンテの汚れはここに至ってついに浄められるのであるが、そこで詩人は身を打ちのめす悔恨と悲しみの涙を流すことだろう。
山の頂きに降臨するのは若くして死んだ最愛の女性ベアトリーチェだからだ。
第1歌〜カトー
二人は煉獄の島の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。砂浜を歩んで行くと番人であるカトーに出会う。
カトーは古代ローマの自由を守るために戦い、自ら命を絶った立派な男。
彼の助言を得てダンテたちは藺草を摘んで腰に巻くように薦められる。
なぜなら藺草は「慎ましさ」の象徴で、煉獄の山を登って行くには必要な美徳だからだ。
聖書に天で一番偉い者は一番慎ましい者だと書かれている。上に登るために必要なのは傲慢ではない。
傲慢や思い上がりははるか下方の地獄に属する感情なのである。
第2歌〜船
多数の魂たちが船で運ばれてきた。地獄と違って煉獄ではテーヴェレの河口に集結したあと、煉獄行きの船の順番を待つのだそうだ。彼らと合流し、番人のカトーに急かされて魂たちは山へ向かって駆け出した。
第3歌〜祈り
一行は煉獄の斜面へと差し掛かった。ついに山登りが始まるのだ。そこでナポリ王マンフレーディに会った。彼は身の上を語った。
煉獄の魂が受ける苦しみ・山登りは現世の人々の彼らへの祈りで早まるのだそうだ。
まとめ
「煉獄篇」には地獄篇のような派手な仕掛けはないから、淡々とまとめを進めて行くことにする。とはいえ特記すべきことは多いからだ。
悪のどん底へ突き進むのだけが旅ではない。血と狂気の激しい交錯だけが芸術ではない。
天国で善の光に包まれて旅することになるダンテが、この「煉獄」という善と悪の中間の領域でいかなる体験をするのか。
「慎ましさ」とは
最初に書かれていたように山登りの基本は「慎ましさ」だ。なぜなら傲慢は支配欲や名声欲に拘っており、従って思うようにならなければ怒りや憎しみへと結びつく。
「私は他人より偉い」という意識は究極まで敷き詰めると、バベルの塔の頂上に君臨した独裁者という絵になる。そして人々を賎民として虐殺するであろう。
その血まみれの欲望はまっすぐ地獄の底のサタンに直結する。もし実際に生きておれば狂人として無差別猟奇殺人を起こしかねない。
その狂暴の発作は聖書の「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という言葉でしか救済されない。それを実行せよという意味ではない。
殺人の衝動を抑制可能なのは、その言葉しかないという意味である。それは刃物を持った腕を引き止める鎖なのである。