「歩きスマホ」を150年前に予言?ボードレール『七人の老爺』のビジョン

パリの街角に現れた異形の老人たち

シャルル・ボードレールの詩集『悪の華』に収められた「七人の老爺」──この不気味な散文詩では、パリの街をさまよう主人公(=ボードレール自身)が、奇妙な体験をする。

疲れ切った心と頭の中で言い合いながら歩いていると、突然、同じ顔・同じ姿をした老爺たちが次々に現れる。1人、2人、3人…そして7人目。

彼らはまるでクローンのようにそっくりだった。主人公はこの異様な光景に理性を失い、恐怖に駆られて家へ逃げ帰る。そして病み、狂気に苛まれる──この奇妙な行列が何を意味するのか、答えのないままに。

奇怪な風貌──ボードレールが描く「老爺」たち

この”七人”は単なる老人ではない。ボードレールは彼らを、腰が直角に折れた異様な姿で描写している。ただ曲がっているのではない──本当に直角に、折れているのだ。

歩くには杖が必要で、もはや二足歩行というより不器用な獣のよう。膿んだ目はなお鋭く、剣のように突き出たあご髭、黄ばんだボロをまとい、全身から世界への敵意を発散させながら、雪と泥をかき分けて進んでくる。

無限に続く恐怖──行列の意味とは

彼らは延々と行進し続けるかに見えた。主人公を本当に怖がらせたのは、行列そのものよりも、それが永遠に終わらないかもしれないという悪夢のような想像だった。

──さて、ここでふと考えてみたい。この奇怪なビジョン、実は現代の”歩きスマホ”社会を暗示していたのではないか?

現代への奇妙な符合

●「腰が直角」→スマホを覗き込むために猫背になり、視線は地面に釘付け。

●「杖を突くような歩き方」→スマホ操作に意識が取られ、よろめきながら歩く現代人。

●「均一化された群衆」→満員電車でも街中でも、周囲を気にせずスマホに夢中な無数の人々。

150年以上も前に書かれたこの作品が、まるで21世紀の都市風景を予言していたかのように思えてならない。

ボードレールは預言者だったのか?

預言者──それは古代から存在してきた、不思議な「未来を見る者」たち。

聖書のエリヤ、黙示録のヨハネ、あるいはノストラダムス、そして詩人ウィリアム・ブレイク──彼らは時に、狂気と紙一重のヴィジョンを抱え、人々に警鐘を鳴らしてきた。

ボードレールもまた、その系譜に連なるのかもしれない。

あまりにも早すぎた現代への警告。それが「七人の老爺」の正体だったのだとしたら──私たちは150年越しに、この悪夢を生きているのかもしれない。

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