1934年発行、谷崎潤一郎の「文章読本」は日本文学史上の魔術師ともいえる、氏のいわば”文章の書き方”についての随筆である;小説家・文士のみならず、しがないWEBライターや我々通称”ブロガー”にも有益な内容となっている。
この大先生の書いたハイレベルなマニュアルは必読とはいかないまでも、現代において日本語で文章を書く習慣を持つうえは、わずかの時間を割いてでも一読しておく価値がある。
本の構成
まずは「文章読本」の構成をあげていこう;
一、文章とは何か
言語と文章 実用的な文章と芸術的な文章 現代文と古典文 西洋の文章と日本の文章
二、文章の上達法
文法に囚われないこと 感覚を研くこと
三、文章の要素
文章の要素に六つあること 用語について 調子について 文体について
体裁について 品格について 含蓄について
となっている。どうだろう、目次を見ただけで役に立ちそうではないか 😎 では順を追ってレビューしていく。
一、文章とは何か
ここで氏は実用的な文章と芸術的な文章の違いについて述べている;結論は両者に区別はないということになるのだが、氏の理論はもっぱら小説家としての精神にのっとっているため、そのような結論になるようだ。
言うなれば文章というものは、いかにはっきりと内容を読む人に伝えるかということであり、小説と言えどもその目的から逸れることはないのである。
この考えはシュルレアリズムの”デペイズマン”手法や、ロートレアモンの「マルドロールの歌」やボードレールやポーの詩論とは相容れないように感じられる。また古代エジプトにおける神官が、庶民には解読できないようにした難解な神聖文字を使用していたという史実にも通用はしない。
谷崎氏の文章についての考え方は哲学や詩とは切り離された、文筆家としての職業的なそれである。だが芥川賞を目指している日本の作家諸氏には極めて有意義な理論となろう。
二、文章の上達法
ここで氏は文章が上手くなるには何よりもたくさん読むことと、さらには自分で文章を作ってみることが大切だと教えている;美食家であれ批評家であれ、感覚が磨かれていることが大事なのであり、文章の良さもまたそういった感性がなければ良い悪いは判別できないという。
ゆえに昔の”寺子屋”式に幼い頃からひたすら読み書きさせることが、文章の上達が一番早い近道だと主張する。これは確かにブロガーにも言えることだろう。始めたばかりの頃は500文字書くのにも苦労するが、慣れてくればくるほど文章もこなれてきて良い感じになる。
三、文章の要素
この”含蓄(がんちく)について”では、下手なライターの文章にいかに無駄が多いかが語られる;不必要に大げさな形容詞や副詞を突っ込んで、かえって文章を弱めてしまう例が下手くそな俳優の演技に喩えられる。これはブログを書く上でももっともな意見である。
限られた時間、通信容量でページを見てくれるユーザーに、なくてもいい無駄な文字を読ませてどうするのか;文字数を稼ぐという考え方はケチくさいWEBライターの習慣だ。内容の良し悪しなど関係ない。1文字いくらで労働力を売るかしか頭にない。
谷崎氏が指摘しているのは”無駄な繰り返し”でもあるが、これは初心者や素人が最も陥りやすい初歩的な甘さである。氏は何よりもまず文章から無駄な記述を排除し、全体を引き締めることが大事だと言っている。それで文字数が30字減ろうと200字減ろうと、構いはしないのである。
まとめ
ざっとになるが「文章読本」は非常にためになる内容で一杯である。ちなみに川端康成や三島由紀夫も同じ題名で、小説家としてのいわゆる”文章作成マニュアル”を発表している。
だが文字とは何か、文章とは何かと問われるなら、それは職業のためでも大衆に何事かを伝えるためのものではなく、選ばれた者のみが読める秘密を伝達する手段だと答えるだろう。
文章読本改版 (中公文庫) [ 谷崎潤一郎 ]
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◯「マルドロールの歌」はこちら→ロートレアモン伯爵【マルドロールの歌】をわかりやすく紹介