哲学

ルネ・デカルト【哲学原理】から導かれる自明な真理について

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これは17世紀の本。作者はフランスのルネ・デカルト。原文は当時の書物が一般的にそうだったラテン語。

地球

地球は自転していると、学校で習った。また1年つまり365日かけて太陽の周りを一周することをも。

反対に言えば一回の自転が24時間つまり1日、一回の公転が1年だということになる。

これらの周期が狂ったのを私は一度も体験したことがない。なぜこれ程機械のように、または時計の歯車のように正確に運動するのか。

太陽

太陽の不在が夜であり、太陽の光が昼をもたらしている。太陽が地球の周りを回っているように見えるのは、地球が静止していると思い込んでいるため。

これは動いている船の甲板に腰掛けている人が、実際は静止していても岸からはどんどん離れていくようなもの。

運動が物質世界の変化でありその大元となっているのは星の運動。そう、星は運動している。

自転は1日すなわち昼と夜を、公転は1年すなわち季節をもたらす。自転軸の傾斜及び太陽からの離隔距離が気候の変化、暑い・寒いを起こす。

このことが自明のように真理だと認識されるのは、私が一度もこれが狂ったのを見たことがないから。

またこの周期が数に基づいているから。数は最も確実な真理だから。

このように物質世界にも確実性が認識される。月は地球から一番近い衛星で自ずから光を発しないが、太陽の光を夜になると反射する。

太陽、地球、月の位置関係により月の光の満ち欠けが見られる。これにも周期がある。

この原理によって月という詩的で女神に喩えられるミステリアスな様相が出来ている。

月と同じく星も、昼間は太陽の強い光で打ち消されているため見ることはできない。

昼、星は言うなれば隠されている。しかし太陽が不在することで夜が来、星の光が輝く。

自明の確実な真理。これも一度として狂ったのを私は見たことがない。

時間

これらの物質の運動が時間と呼ばれるものだということが、真理として出てくる。

また物質世界には物質しかないこと、物質世界は常に運動しており一度も止まってないことが自明の真理として出てくる。

これら物質には内にも外にも限界がなく、古くもならない。つまり現に在る世界は、最初に運動を開始した時と同じ状態である。

物質は無限に分割でき、人体も分割される以上物質以外のものではない。

思惟

思惟については、思惟者がいかに全てを疑い否定を試みようとも、そのように疑っている自己の存在を覆すことまではできない。

ゆえに思惟が存在することは自明。

人間の自由は意志にある。意志は無限。意志はどこまでも進むことができる。であるから自らこれをコントロールしなければならない。

思惟が誤るか真理に至るかは、人間の判断にかかっている。判断をするのは意志。

思惟は物質ではない。以上。

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