哲学

【哲学原理】から読めるデカルト哲学・方法・思考について

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前の「哲学原理」の記事がよくわからない内容だったので、今回は言葉を少し多くしたい。その内容はこの本を読んで導かれた真理のことを書いたのだった;

”真理”というと何かとても深遠なもの、難しいもの、一般人の到達不可能なものといった偏見がある。しかしデカルトの原理に従うならば、まずは100%確実で明晰な事物を認識することから”真理”の探求はスタートする。つまり昼と夜の存在である。

◯前記事→ルネ・デカルト【哲学原理】から導かれる自明な真理について

 哲学

「哲学原理」「精神指導の規則」「方法序説」「省察」などの一連の書物に共通して言えるのは、デカルトの哲学は非常に数学的でシンプルだということである。そして題名は色々変われど、そこに書いてあるのは同じ真理である。

哲学と聞くと何かとても小難しい学問といったイメージだが、この言葉の意味は人が何を正しく考え判断すべきかを教えることなのだ。従って人である以上は誰であれ大事になってくる学問ということになってくる。

あるいは哲学とは人の思考そのものでもある。よってそれを行わないならば動物と同じだということになる。

痛い・気持ちいい・楽しい・苦しい・腹減った・美味かった・好き・嫌い・やりたい・やりたくないなどこれらは全て感情であり、思考とは異なる。もしこれらの感情をもって自己が思考しているのだとするならば、それは誤りである。

 原理

タイトルから見てみようではないか。「哲学原理」。哲学とは上に述べたような意味だとすると、原理とは事物の最も根源をなすある普遍の法則のようなものだと言う必要もない。

デカルトはそれそのもがそれだけではっきりと単純明快に認知されるものは、論じる必要がないと言っているからだ。そしてデカルトは論理を説明するとき必ず例えをくれる。非常にシンプルでわかりやすい例えである。

例えば1。1を認識するのに何も論議は要らない。原理もまた、そのようなものである。

規則

「精神指導の規則」。精神とは物質ではない思惟のことで「我」である。さて我を指導する規則という内容についてだが、これは万人が学ぶべき本で絶対に必要である。なぜなら、我は、規則がなければどこへ勝手にさ迷うかもわからず、指導する必要があるからである。というのはこの世界には未知のものが多大にあり、人の判断は正解よりも誤ることが多いからである。ゆえに精神を指導する守るべき規則が必要なのだ。

規則とは守られるべきもので無視され蔑ろにされるためにあるのではない。

「方法序説」について言えば方法もまた、幾何学的・数学的意味合いを持つ。精神を正しく導くためには方法が必要なのである。

 方法

デカルトの方法とは無駄を排除すること、複雑なものを単純明快なものに帰納すること、反対に単純明快な真理から徐々に複雑なものを演繹することを指している。

そしてその過程においては順序を厳守するべきであると教える。なぜならばひとつとして順序を守らなければ、確実な真理へと至る鎖が断ち切られ精神は誤るからである。

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