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学校・仕事【休み明け】が恐い人たちに読んでほしい記事

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今回のはフリーランスや自営業者の方々ではなく、主に一般的な雇用労働者で休み明けの学校・仕事が嫌な人へ向けた記事であった。とはいえカレンダー関係なしという働き方をしている人たちでさえ、堂々と休みだと言えるのは日曜日。月曜日が恐ろしいことに変わりはない。

以下にあげるような理屈をいくらこねくり回そうとも、社会生活が肌に合わない星に生まれた方々はどんなに冷静になろうとしても恐ろしいものは恐ろしい。それは不可抗力である。単なる気休めにしかならないだろうが、よかったら読んでみてほしい。

仕事がだるい

休みが長いほどその後に待っている仕事に行くのがだるい、億劫になるのは人の性。小学校の夏休みから誰もが経験している。仕事・学校に行きたくない、普段そんなことのない健全な人でもちょっとはかったるくなってしまうものだ。

ましてややや精神を病んでいたりしたら、休み・連休明けというものは断頭台に送られる死刑囚にも似たような恐ろしさがあるほど。いやそこまではいかないよ、という方は幸福。でも気をつけて。

普段の休み、日曜日などの後やって来る月曜日がちょっとでも嫌ならちょっとずつ精神を病みつつある。程度の差こそあれ、やりたくないことをやるということは魂・心にとって良くない。

やったー!!GWダァー!!と喜んだのも束の間、そろそろと「連休明け」はやって来る。死神のように。それが「時間」。

エドガー・ポー「陥し穴と振り子」

この不気味に迫り来る時間の恐怖を最大に現したエドガー・アラン・ポーの小説がある。『陥し穴と振り子』である。小説では異端の嫌疑で逮捕された主人公が、体力・気力も弱り果てた挙句に拷問される。

だがその苦しめ方は肉体的苦痛と精神的苦痛を混ぜあ合わせたもので、精神のそれが非常に過酷な責め苦なのであった!恐怖の克服方法第1として、恐怖そのものを楽しむ、真っ向から向かい合うという手段がある。

このポーのような小説を読むなどして、恐怖を作家と分かち合い怖いのは自分だけではないと言い聞かせる。

◯「陥し穴と振り子」についてはこちら→【エドガー・アラン・ポー】「陥し穴と振り子」〜ソリッド・シチュエーション・ホラー的短編を紹介

プラトン「ピレボス」

プラトンの『ピレボス〜快楽について』という本には、快と苦についての考察の中でそれらには身体が感ずるものと魂が感ずるものがある、と書かれている。

特に魂が感ずる苦しみとは、先々に待っている苦しみを予期することによる想像上の苦痛がある、と書かれている。

◯「ピレボス」についてはこちら→プラトン【ピレボス】「快楽について」〜レビュー・感想・カンタン解説

「時間」の恐怖

これが人間特有の恐怖というものでなくて何だろうか。「時間」に対する恐怖、それは連休を楽しみにしていたのと同じほどの割合で襲って来る。

ひどくなると翌日の仕事が恐ろしくて眠れなくなる。こうなるともう仕事を休むか、辞めるか、いずれにせよ精神科に行くことになる。でなければ自殺という最悪の結果を生む。それは絶対ダメだ。

フランスの詩人ボードレールは『悪の華』でポーの影響の濃い「時計」という作品を書いている。

◯ボードレール「時計」についてはこちら→ボードレール【悪の華】「時計」〜秒針の脅迫

武士道

和田克徳の昭和2年刊『切腹哲学』という本の書き出しはこうである。「糸一本にすがって現実生活を享楽しようとする思想、身を一剣に託して君恩に応えようとする感情。前者は平和期に伴う人心自然の流露と伸長とに基づき、後者は動乱期における武士の格率生活にその基調を発する。前者には弛緩の様相が過分に湛えられ、後者には緊張の色調が濃厚に色染んでいる」

糸一本に縋ってまで命が惜しい、苦しみだらけの世の中なのにまだ死にたくない、助かりたいなどと祈るのは現代社会が平和すぎるから。今日明日死ぬかもしれない人は先のことは心配しない。戦場に颯爽と赴く青年がはちきれんばかりの笑顔なのはそういう理由による。天皇のために死ぬと決めた兵隊の行進が得体の知れない力強さにみなぎっているのも同じ。「武士道といふは死ぬことと見つけたり」とは日本の『葉隠』文書の言葉である。

恐怖を克服する方法第2は「武士道」ある。これは恐るる感情を銃声の一発で吹き飛ばすショック療法。武士というものは決して恐れてはならないのである。また戦時中日本軍は命を惜しめとは教育されなかった。彼らは天皇陛下のために進んで死ねと命令されたのだ。

よってもし臆病に恐れているひとが戦国時代や昭和初期の軍人だったなら、どうなっただろうかと想像しよう。変わったのは日本社会であり教育である。恐怖の対象が目の前の死だったのから、介護を必要とする老後に変わったのである。我らは敗戦で日本「武士道」を捨てた親たちの息子の息子なのである!

とはいえ世の中には身体の死よりも恐ろしいことが存在する。それは「精神的苦痛」である。これこそが現代社会の病気なのだ。

◯「切腹哲学」についてはこちら→和田克徳著【切腹】【切腹哲学】レビュー〜紹介・感想・考察

◯「葉隠」についてはこちら→【葉隠入門】三島由紀夫による「葉隠」の解説書を紹介

まとめ

「チベットの死者の書」という本には恐怖というものは己の心から湧き上がってくる幻で、実在しない。幻と恐怖の本体を見極めろ、恐るなと解脱せんとして瞑想するヨーガ行者に語りかけられる。だが恐怖は脳内に巣食ったシラミのようにモゾモゾと動き回って、思考と心をかき乱す。

これはもう自分の力ではどうしようもない。神でも仏でもいいから助けてくれと祈ることしか、弱い人間にはできないのかもしれぬ。

大した慰めにはならなかったかもしれないが、お読みいただいてありがとうと感謝する。怖いのはあなただけではない。

◯「チベットの死者の書」はこちら→【チベットの死者の書】ちくま学芸文庫版〜内容紹介・レビュー(2018年6月最新)

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