"Accipe ovum et igneo percute gladio."
概要
このエピグラフは「逃げるアタランテ」でも最もポピュラーではないだろうか。澁澤龍彦の紹介で掲載されたこともある、この絵はどのようなものかというと;
画面左側に暖炉のような燃え盛る炎が上がる炉があり、その真ん前に足の低いテーブルがある。その上に下方に向かって周径が徐々に大きくなってしまいには細くなる1個の卵が、あり得ない態勢で安定して置かれている。
さらに画面右、卵を横から見てすぐ前には、剣を振りかざした闘士のような哲学者が武器を構え、しっかと卵に狙いを定めている。まるで古代ローマのグラディエーターかあるいは、切腹する武士の後ろに立ち、すかさず首を切り落とす居合の達人のようでもある。
背景はこの時代の流行の遠近法が用いられた建築物の絵で、とても中世風で冒険的ロマンのある画像である。
火
錬金術では火が大きな役割を占め、さらにこれは地球を取り巻く四大元素の一番上位でもある。また聖書の中でも火はよく使用される;魂が浄化されるために必要な試練を表すものとして使用されたり、天上の生き物の姿を描くのに使われたり、また罪人を焼き尽くす媒体として使われたり。
”黄金は火によって試される”本当にそうだろうか。これは怪しい私が適当に言った言葉なのだろうか。まあよろしい、仮に”黄金は火によって試される”のだとしよう。火の中で生きるサラマンダーという蜥蜴のような生き物がいることは迷信によって知られている。
死んで自らの遺灰の中から蘇るフェニックスという鳥もまた火を思わせる。そして卵;人間は卵から生まれない。身近なところでは鳥類が卵から生まれる。毎朝私たちは美味しい卵かけご飯を頂くが、食物となるあれらの産物も鳥が産んだものである。
卵
卵について云々すると澁澤龍彦のような大きな本を書かなくてはならず、それは筆者の意図するところではない;では例によってスピード解釈といこう。
背景の遠近法は画像に”奥行き”を与えるために、それも自然の風景でなく故意に人工的な建物を選ぶことにより、幾何学の思考に見るものを導いている。荒れ狂う火は激しい欲望の情念、すなわちエロティシズムを現す。
火の中から取り出されてきたかのように炉の真ん前に置かれた卵は、ヘルメティックに密閉された容器である(ちなみに"hermetic"なる用語はマルキ・ド・サドの小説にも頻繁に登場するが、扱い方は大抵局部への口の密着である)。
封印された容器は人の頭蓋骨であるから、これにしっかりと狙いを定め、剣闘の達人のような一撃を持って綺麗に両断(おそらくシンメトリックに)せよ、という図になる。
人の頭を黄金を試す火の剣によって一刀両断し、そこから生まれる思念を捉えよという広義の解釈でいかがだろう。ご静聴どうもありがとう 😉