アウグスティヌス『告白』下巻レビュー|「記憶」と「時間」に挑んだ神学的哲学書
古代キリスト教の教父アウグスティヌスが記した『告白』。その下巻は、上巻のような赤裸々な回想録とは趣を異にし、より哲学的・神学的な内容に傾いていきます。
下巻の全体像|自伝から哲学へ
アウグスティヌスは回心を果たし、北アフリカへの帰途に母を亡くします。上巻では生い立ちから回心までを描いた彼は、下巻でその過去を「記述するとは何か」を深く掘り下げます。
その鍵となるのが「記憶」と「時間」。この二つの主題を通して、彼は〈自己の存在とは何か〉〈神とはどのように働くのか〉という問いへと接近していきます。
記憶とは何か?|存在と神秘の貯蔵庫
アウグスティヌスによる「記憶」の考察は、まるで思索の迷宮を歩くような緻密さと驚きに満ちています。それは単なる脳の記録装置ではなく、愛や苦悩、祈り、そして神の痕跡すらも宿る“魂の蔵”。
映画『ブレードランナー』が問いかけるような「記憶が本物の人間性を担保するのか」という主題とも重なります。人間とは“記憶する存在”であること、そしてそれが信仰とどう結びつくか。現代にも通じる問題提起です。
時間とは何か?|過去・現在・未来の本質
続いて扱われるのは「時間」。アウグスティヌスは問いかけます——過去はどこにあるのか?未来はまだ来ていないのに、なぜ意識できるのか?私たちが「今」と呼ぶ瞬間は、いつ終わってしまうのか?
これらを信仰者の視点から解きほぐす思索は、20世紀の現象学者ベルクソンやハイデガーにも通じるもの。彼にとって時間とは、神が人間に与えた有限性のしるしであり、永遠(エーテルニタス)を知る手がかりでもあります。
彼は、まず“信じる”ことで不可視の真理に近づき、そこから理性で理解を深めていく——この姿勢は、後のデカルト的懐疑とは正反対のアプローチです。
後半|創世記の神秘解釈
後半では旧約聖書「創世記」の天地創造についての神学的解釈が続きます。哲学的瞑想の鋭さに比べるとやや難解かつ退屈に感じられる部分もあるかもしれません。
それでも、アウグスティヌスは“言葉が世界を形づくる”という思想を通して、「記憶」や「時間」との連続性を保ちます。このような構成は、彼が真理の全体像を描こうとしていた証拠でもあります。
まとめ|哲学と神秘の交差点
『告白』下巻は、「神学書」の枠に収まりきらない知的営為の記録です。記憶、時間、存在、永遠、感覚、そして神という、極めて抽象的な主題に挑みつつも、それらが読者の内面と静かに響き合います。
信仰に頼る人も、哲学に興味を持つ人も、きっと何かを受け取れる一冊。そしてこの思索は、プラトンやヘルメス文書の教えともどこかで繋がっているように思えてなりません。
コメント