アリストテレスと「第9のもの」──天動説と宇宙論の哲学的展望
古代ギリシャの哲学において、地球は不動の中心であり、そのまわりを天体が巡るという天動説が当然の前提とされていました。アリストテレスの宇宙論も、この天動的世界観を土台に構築されていきます。
▶︎参考:【アリストテレス】哲学:ばっさり解説〜天動説と宇宙論
7つの天界と“恒星天”の彼方
アリストテレスによれば、月から土星までの7つの天体(天球)が地球の周囲を円運動し、その外側に「第8天」と呼ばれる恒星天が存在します。ここには無数の星座が配置されており、肉眼で見える宇宙の果てとして人々に認識されていました。
恒星天は、雲の影響を大きく受けるため、空が完全に澄んでいないと観察できません。一方、最も内側にある月は、雲があってもよく見える。この視覚的現象もまた、アリストテレスの宇宙観を補強していました。
では、この壮大な宇宙機構は何によって動いているのでしょうか? 第8天を回転させているのは何か。そこに登場するのが“第9のもの”です。
「自然学」と見えざる推進者
ダンテの『神曲』「天国篇」では、恒星天のさらに外側に「原動天」があり、そこに天使たちの階層が配置されると描かれます。これは詩的表現ではあるものの、哲学的に見れば、アリストテレスの宇宙論とも通じる点があるのです。
アリストテレスの『自然学』でもこう述べられています。
動くものはすべて、何かによって動かされる
この原理から出発すると、すべての運動は何らかの原因によって生じることになります。そして、その“原因”にもまた原因がある……。この無限後退を防ぐために、アリストテレスは「不動の動者(Unmoved Mover)」を想定しました。
“離れて存する不動なる実体”とは何か
その「不動の動者」は、地上の出来事には一切関与せず、ただ恒星天を観照するだけの、理性的かつ目に見えない実体とされています。これが、アリストテレスにおける「神」と呼べるものです。
現代科学が宇宙を重力や物理法則で説明したとしても、アリストテレスのこの観念はなお根源的な問いとして私たちの前に立ち現れます。
哲学的原理としての「第9のもの」
アリストテレスの考えでは、宇宙の運動を説明するには「それ自身は動かず、すべてを動かすもの」がどうしても必要なのです。さもなければ、運動の始原がどこまでも遡れなくなってしまうからです。
この“第9のもの”は、数知れぬ星々の運行を観照することで人間の理性にも明らかになる可能性がある――そう『ヘルメス文書』にも示唆されています。
アリストテレスの「形而上学」とデカルトとの対比
『形而上学』はまさにこの“見えない実体”を追究する書ですが、哲学的厳密さのあまり、内容は500ページに及び、時に読み手の忍耐を試します。
デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という明快な原理を立てたのに対し、アリストテレスはこう言います:
同じものが、同じ意味において、同時に存在し、かつ存在しないということは不可能である。
この命題は論理学の原則であり、哲学における確固たる起点となるものです。
▶︎ デカルトまとめ記事
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