【谷崎潤一郎『神童』感想】天才児が堕落するまで──食欲・性欲・美への転落劇

小説

中公文庫「潤一郎ラビリンス」シリーズⅢに収められている、谷崎潤一郎の短編小説「神童」を紹介する。

潤一郎ラビリンス

「潤一郎ラビリンス」シリーズは谷崎潤一郎の中短編をまとめたもので、あまりの面白さに全16巻を大人買いしてしまった(笑)。

とはいえ谷崎といえども、5回に1回くらいは新聞連載のような通俗小説も混じっており、そこはやや厳しい。しかし「お艶殺し」「盲目物語」などで見せる語り口の妙にハマってしまえば、もう抜け出せない。

谷崎の小説は「妖しく悪魔的な審美主義」と評されるが、個人的に最も惹かれるのは、悪ふざけのような”笑い”だ。

漫画やネットスラング以外で、声を出して笑える小説など、そうそうない。この面白さはどこから来るのか──江戸落語か? いや、また違う。

神童

「神童」もまた、笑えると同時にピリッと毒を効かせた悪魔的小説だ。

タイトルの「神童」(しんどう)はGOD(神)ではなくSIN(罪)ではないか──などと冗談を言いたくなる。

物語は、小学校から飛び抜けた成績を誇る少年・春之助を主人公に進む。

貧しい勤め人の息子である春之助は、将来自ら聖人となり人類を導く夢を抱き、親の奉公計画を振り切り、中学入学試験に勝手に挑んで合格する。

成績の振るわない家主の子供たちの家庭教師となり、学費の支援を受ける形で、裕福な別邸に住み込みで暮らし始める。

食欲

念願かなって新しい暮らしを手に入れた春之助だったが、幼い心は家恋しさに負け、実家に立ち寄っては菓子をねだる。

その習慣が体に染みつき、実家に寄らない日は午後に空腹を感じるようになった。

小遣いを使い込み、夜は台所を物色し、腹を満たすためだけに露天で買い食いする。

──天才の心を、最初に侵したのは「食欲」だった。

サディズム

家庭教師によって娘の成績は向上するものの、息子は相変わらずの劣等生。

生意気な姉の後押しもあり、春之助は息子を厳しく叱責し始める。次第にそれは”快感”に変わり、殴る蹴るの暴力にまでエスカレートしていく。

性欲

別邸には若い女中、若妻、娘たち──色とりどりの女たちに囲まれ、春之助の心は揺れる。

やがて遊郭への使いも任され、芸者や半玉たちの華やかな姿に心を奪われる。

毎日自慰を欠かさず、時には昼間から便所に30分こもる日も。特に遊郭帰りは、狂ったように欲情した。

美への目覚め

食欲と性欲に支配されながら、春之助は「美」に目覚める。

鏡を盗み見、自分の青白くやつれた顔を見つめ、ボロ着物を恥じるようになる。

だが、鍛錬不足で体力もなく、器械体操の授業では教師に「お前は片端か」と嘲られる。

顔中に膿だらけのニキビが吹き出し、自信は崩壊した。

転落

神童と呼ばれた少年は、学問のくだらなさを痛感する。

今や尊敬の念を抱くのは、役者、芸者、幇間──享楽に生きる人々だった。

哲学書を閉じ、もはや二度と開くことはなかった。

代わりに手にしたのは詩と芸術──美への意志が、人生を支配し始めたのである。

まとめ──私の話

余談だが、筆者もまた、中学までは”神童”と呼ばれた身だった。

しかし高校では勉強する気を失った。いくら成績が良くても、幸せになれないことに気づいたからだ。

中学時代、体が弱く喧嘩も弱かった私は、学力で虚勢を張っていたに過ぎない。

いま思えば、大学を出てから方向転換しても遅くはなかったのだが──まあ、若気の至りというやつである(笑)。

潤一郎ラビリンス (1) (中公文庫 た 30-29)

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