50代で再読した『限りなく透明に近いブルー』──村上龍の初期傑作は今でも通用するのか
村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』を、数十年ぶりに再読しました。
19歳のときに初めて読んで衝撃を受けたこの小説。50代になった今、当時とは違った読後感を味わったので、改めて感想を書き留めておこうと思います。
登場人物
主な登場人物は以下の8人です。
- ケイ:ストリップ嬢。
- ヨシヤマ:ケイの愛人らしいが、仲が悪い。女に嫌われている性悪男。
- カズオ:カメラが趣味。お金がありそう。
- オキナワ:薬漬けのナイスガイ。
- レイ子:太っていて、飲み屋のママらしい。
- モコ:尻の描写が妙に多い。
- リュウ:主人公。19歳。女衒で売人、ミュージシャン。
- リリー:リュウの恋人。飲み屋のママで、リュウを見守る存在。
このうち6人が、主人公「僕」の部屋に溜まっては、薬と乱行、音楽、嘔吐などで過ごす仲間たちです。全員がドラッグにまみれた、どうしようもない若者たち。
見せ場と文体
小説は、圧倒的なスピード感でショッキングな場面が次々に展開されます。まるで破滅へ突き進む映画のようでありながら、「僕」の語り口はどこまでも冷静。感情の起伏が少ないゆえに、かえって狂気が浮き彫りになります。
若い村上龍の文体は、若さゆえに書けたものかもしれません。あまりにもサイケデリックで幻覚的。読者の感覚を揺さぶることを、完全に計算し尽くしているようにも思えます。
印象的なシーン
- ドラッグをやって車をぶつけ、空港近くの泥の中で恋人と転げ回る
- 黒人たちとの高円寺での乱交パーティー(2回)
- 野外フェスでガードマンを便所でリンチ
- 電車で吐いて、見知らぬ女性をレイプしかける
- ラストでは、錯乱したリュウをリリーが必死に宥める
これらの場面は、すべて現実感を伴いながらも、どこか夢の中のような不気味さを感じさせます。地獄のような生活を描きながら、どこか静かで、そして美しくすらある。
音楽とアメリカ
本作では多くのバンド名やレコードが登場します。ドアーズやジム・モリソンの詩が引用され、サウンドトラック的な要素も感じられる。
舞台は福生の横田基地近く。当時の日本にとって最もリアルな「外の世界」はアメリカだったのかもしれません。内容もアメリカ文化、ヒッピー文化の影響を強く受けています。
精神の崩壊
破滅的な行動の連続は、仏教で言う三悪趣そのもので、当然そこに救いはありません。最後には主人公リュウが恐怖に襲われ、発狂寸前の精神状態に陥ります。薬と性と暴力によって崩壊していった若者の姿が、冷徹に描かれます。
まとめ
今読んでも、これは狂気の小説だと思います。でもただショッキングなだけではなく、どこか詩的で、映像的で、文学として完成されています。
1976年の作品なのに、2024年に読んでもまったく古びていない。それだけで、この本が「本物」だと証明されているようです。
そして何より、「安いもの」で世界を描ききる村上龍の描写力が素晴らしい。ガラスの破片、蛾の羽、腐ったパイナップル、煙草の吸い殻、光、雨、音──。
📖 『限りなく透明に近いブルー』を再読して
若い頃には感じきれなかったものが、年を重ねた今だからこそ見えてくる──そんな一冊でした。
刺激的で退廃的で、でもどこか詩のように美しい。村上龍のデビュー作を、あなたももう一度読み返してみませんか。