山田詠美
なぜこの小説家の名前を知っているのか。今から34年ほど前、当時の女友達にこの本を貸し、その感想を聞いた記憶があるからだ。再読はそれ以来、34年ぶりということになる。
感想も当時とはまったく違うだろう。いや、むしろ今回は何も感じなかった。巻頭には昭和60年に権威ある賞を受賞した旨が記されている。つまり、一般的には「評価の高い作品」なのだろう。
ただ、私は作者について特に興味も湧かず、調べることもしなかった。
黒人の恋人
なぜ黒人男性との恋愛を主題としたのか、その理由は私にはわからない。文章はカタカナ語が多く、和製英語と英語が飛び交う。それが彼女なりのスタイルなのかもしれないが、読み進めるうちに古典文学で口直しをしたくなるような感覚があった。
ちなみに登場する恋人の名前は「スプーン」。もちろん、あのスプーンである。主人公の名前は「キム」。韓国人ではない。おそらく“アメリカっぽさ”を出したかったのだろう。
暴力と性愛
性愛と表現したが、実際にはかなり露骨な肉体描写が繰り返される。粗雑とも取れる関係が、物語の中で“愛情”へと変化していく――そんな流れだったように思う。
文庫一冊で、しかも非常に短い。半日もあれば読めるだろう。ただし、手にしたとしても一気に読んで次の本へ進むのが得策かもしれない。
34年前の記憶
なぜこの本を当時の女友達に貸し、感想まで聞いたのか。今となってはその理由もあいまいだ。ただ、彼女は少し複雑な立場にいた。恋人の親しい友人であり、ある意味“誰かのもの”でもあった。けれど、たまにふらりと私のもとを訪ね、近況を語ってくれた。
小説中、キムがスプーンと別の女性の情事現場に乗り込むシーンがある。その光景に彼女の姿を重ね合わせていたのかもしれない。慰めのつもりだったのか、自分でもわからない。
あの頃の衝動
今だから言える。私はどれほど彼女を抱きたかったことか。ただし、理性が勝った。彼女は“恋人の友人”であり、私の友人の“特別な存在”でもあったからだ。
一度、彼女と交わる夢を見た。その夢の内容はいまだに忘れられない。数えるほどしかなかったが、彼女を想って自分を慰めたこともある。ジョルジュ・バタイユの小説のように、畳の上で転げ回りながら。
ジョルジュ・バタイユ【眼球譚】〜狂気のエロティシズム小説を紹介
現在の妄想
今でも時々、彼女と恋人と三人で――という妄想をしてしまうことがある。もちろん現実ではない。年齢を重ねても、人間の内面にはこうした幻想が住みついているのだと思う。
コメント