前は”おすすめ洋楽選集”みたいな記事を月一回あげたりしていた;しかしこの手のはItunes Affiliateでリンクを貼るのだが、すごく面倒臭い。成果もゼロでアクセスもほぼ皆無といった有様。しかも自分で書いていて面白くもない、ときた。
twitterやfacebookで曲やアルバムを呟いて自分の好きな音楽を聴いてもらいたい、またはこういう音楽が好きな奴がこんなブログもやってる;そういうことを発信できたらなんて思っていた。
要は”哲学とか”詩”とか”小説”とかいったこのブログにあるカテゴリーを、あまり堅苦しく考えて欲しくないのだ;筆者がこのような頭になったのもパンク・バンドをやっていた延長なのだから。
すなわちパンクとは一言で言えば「既存の価値観の破壊」である。
●参考→【おすすめ洋楽】紹介・itunesライブラリより厳選〜2018年6月(異ジャンル)
『ハルモニア論』
偉大な天文学書である『アルマゲスト』、そして占星術の権威『テトラビブロス』書いたクラウディオス・プトレマイオスの古代ギリシャ音楽論『ハルモニア論』のちんぷんかんぷんな本を読み、少しでも彼の論を理解したく、Itunesで"Ancient Greek"と銘打たれたアルバムをいくつか聴いて見た。
The Ancient Greek Modes/Michael Levy
The Odes of Anakreon (feat. Thelma Karayanni)
Ancient Greek Musical Instruments - Music of Ancient Greece
これらは聴いても聴かなくてもよい;これが良いと感じるには相当の人生経験が必要だろうから。
これらのアルバムはキタラとかリュラとかアウロスとかいった、プトレマイオスの『ハルモニア論』に書かれている楽器で演奏されているのである。
●参考→【古代音楽論集】プトレマイオス「ハルモニア論」〜西洋古典叢書より紹介
ピュタゴラス学派
『ハルモニア論』では「万物は数である」を唱えたピュタゴラス学派と同じく、音楽を数学あるいは幾何学として扱う;上に例を挙げたアルバムにはどれも古代ギリシャの”調和”というエッセンスが溢れている。すなわち”調和”とは数学の比例関係なのである。
ピュタゴラス学派は徹底した秘密主義で、教えの内容を他言したものは船から突き落とされて殺されたという;にも関わらず「万物は数である」とか彼らが”テトラクチュス”すなわち「10」(1+2+3+4)を崇拝していたとかが伝わっているのは、誰かが秘密を漏らしたためか?
別にピュタゴラスでなくとも、その辺の子供会の小学生であろうと、方位が大きく4つ(東西南北)に分けられるとか、黄道が12に分けられるとか、指が5本ずつあるとかは自明であるのだが。。
EXTREME NOISE TERROR
やっとだが”EXTREME NOISE TERROR"の前にこの二つのバンドを紹介しよう。Apple MusicではなくてYou Tubeで行こう。クソ面倒臭いからだ。
Napalm Death 1988 11 28 Uppsala, Sweden
G.B.H. Live at Stoke On Trent 1983
Napalm Deathは前にも紹介したがデス・メタルの神的なバンド。EXTREME NOIS TERRORほかCannibal Corpse 、Collapseなどはここから派生した、つまり”追従”したと言える(超適当)。
そしてGBHはパンク・ムーブメントの後期に発生した、髪がとんがった革ジャンが鋲だらけのファッションがイカすいわゆる”ハードコア”である。初期ハードコアではDischargeはGBHと並ぶ権威(笑)である。
そして今回イチオシ”EXTREME NOIS TERROR"だが、音は最初聴いた時はやはり神のナパーム・デスに及ばないな、演奏もデス・メタルにありがちなただ騒さいだけだな、くらいに思っていた;ところがどうしたわけであろう、急にかっこよく感じてきた!
でYou Tube のライブを見たらメチャクチャかっこいいじゃん!!ビリー・アイドルかGBHみたいなファッションでデス声で歌うボーカル、そのギャップがまたたまらん!
これを見ろ!!!🔽
Extreme Noise Terror - Live London 1989
感覚の拷問
しかしなぜプトレマイオスの『ハルモニア論』やピュタゴラス学派から"EXTREME NOIS TERROR"や"NAPALM DEATH"になるのか?ついでにこちらも前に紹介したSWANSのライブ映像であるが、こんなののどこに「数学的調和」とか「比例」があるのやら?
それでも私がこれらの”ノイズ”(雑音)に言い知れない快楽を覚えるのは確かなのだ。おそらくこの感情はプトレマイオスの時代にはなかったであろう”半ば強制された感覚の嘔吐”なのかもしれない。すなわち私たち現代人は普段聞きたくないものまで聴かされ、見たくないものまで見させられている。
それとはいわば”感覚の拷問”とでも言うべき恐るべき苦痛である。