【インクレディブル】有り得ない夢から目覚める途中──覚醒と虚構の狭間で考える現代

評論

「インクレディブル」〜有り得ない夢からの目覚めの過程にある3分の一の覚醒状態について

人種

肌の色、髪の色、目の色、体格──国の位置、文明と歴史、気候、言語……。惑わされるな。これらはすべて見た目に過ぎない。本質を見抜き、仕組みを解き明かすのだ。

しかし、反逆者たちの所有物である女子供がいかに愛らしかろうと、人間とみなしてはならない。それらは反逆の罪による収入で飲み食いさせられた所有物であり、獣の食料である。骨も肉も、すべて獣の好物だ。

芝居を観るのは、もうやめたらどうだ?嘘、見せかけ、本物らしさだけで成り立つ芝居を。舞台の血はフェイク、恐怖は演技、力はCGとVFXによる虚構。そこに本当の美しさも、勇気もない。

まだ気付かないのか?戦争プロパガンダの延長線上にある、うわべだけのシナリオに。

子供

俺には子供が、ただの肉塊にしか見えない。与えられた餌で肥えさせられ、トーンの高い叫び声や奇声を上げ、飛び跳ね、顔を引きつらせる──それはおそらく、漠然とした宿命への直感と、道化としての自己防衛本能の発露だ。

太宰治『人間失格』に描かれた「気に入られねばならぬ」という卑屈な強迫観念。それが、あどけなさを装い、笑顔を演じさせる。

口を持ち、食物を流し込む。だが成長しても、親たちの叛逆を継承し、さらに呪いを深めるだけ。時間はもうない。親を怨め。彼らは虚偽を教え、すべての時間を無駄に費やしたのだから。

隠喩

「キリスト」は物体ではない。それは「言葉」であり、「スピリット」である。ゆえに、救い主を探すなら、まず耳にする「言葉」の性質を吟味せよ。

今の時代、ただ聖書を開くだけでは、主のスピリットに触れることはできない。現代人は古代の人々よりも複雑であり、理解には探求と学問が必要だ。芥子種のたとえも、十人の乙女の喩えも、いまや深い謎の霧に覆われている。

まとめ

太陽も、オリオン座も、太古から地上を巡り、このクソのような東北の田舎にいる異邦人──私の頭上にも昇る。

ならば、これらを創った存在が私を見ていないはずがあろうか?

2000年前、パレスチナで十字架刑に処され、三日後に蘇ったという「神の子」。彼は「言葉」であり「創造者」だとヨハネ福音書は記す。ならば、スピリットは今も全地上を巡っているはずだ。

だから、キリストに接するのに、物体も地理も、教会もいらない。本当に必要なのは「祈り」である──ただしこの言葉すら、いまやその本来の意味を失ってしまった。

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