【ザ・ドアーズ】とウィリアム・ブレイク──知覚の扉をめぐる音楽と詩の邂逅
伝説のバンドと時代背景
1960年代、アメリカは冷戦とベトナム戦争の影に覆われていた。その混乱の時代に、ジム・モリソン率いるロックバンド「ザ・ドアーズ」が登場する。メンバーはいずれも芸術や心理学を学んだ知的な若者たちで、彼らの音楽はサイケデリックと文学的イメージが融合した独特の世界を築き上げた。
デビュー・アルバム『ハートに火をつけて』には、エロスと死、神話と幻覚、都市と無意識が交錯している。官能的なジム・モリソンの声、即興的なキーボード、催眠的なギター、パワフルなドラムス。楽曲「ジ・エンド」は、まるで聴覚による詩的な黙示録のようだ。
バンド名とブレイクの詩
「ザ・ドアーズ」というバンド名は、ウィリアム・ブレイクの詩からの着想である。詩はブレイクの代表作『天国と地獄の結婚』の中に登場する次の一節に由来する:
「知覚の扉が浄められるならば、万物は人に有るがままに、無限に現れる」
(原文:”If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it is, infinite.”)
この詩句はオルダス・ハクスリーの著書『知覚の扉』を経て、モリソンをはじめとする60年代の若者たちの精神世界を強く刺激した。感覚を浄化し、世界をありのままに──つまり“無限”として見るという理念は、彼らの音楽と生き様そのものでもあった。
知覚の扉と現代の遮蔽
ブレイクの言葉は、時代を超えて今日の私たちにも問いを投げかけてくる。「知覚の扉」が閉ざされた状態とは何か。日々のルーチンや情報の過剰、スマートフォンの画面に閉じ込められた視界。耳はイヤホンで塞がれ、目は液晶に釘づけとなる。
私たちは空を見上げることすら忘れてしまった。古代の人々が天を神として仰いでいた時代とは対照的に、現代人の首はうつむき、都市の風景の中でさえ上を見れば不審がられる。
覚醒への希求
それでも、ザ・ドアーズの音楽は今も「扉」をノックしてくる。眠っている感覚を呼び覚まし、日常という殻の向こう側へと誘う声がそこにはある。ブレイクの詩に導かれ、何かしらの“覚醒”を夢見た時期が誰しも一度はあるのではないか。
変わらない日常のなかで、それでもなお“扉の向こう側”を見たい──そう思わせてくれる芸術は、今も変わらず必要とされている。
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